□ 八千八声の客 □ shard-6 □
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いつもの人のいい笑みはどこへやら、太ぶち眼鏡の奥の林原の目は見開かれっぱなしだ。
言い争いがひとまず止まった、とわかった途端、駿紀と透弥の手を同時に引く。
ざっと上から下へと視線を走らせる途中、机の上の血のりに気付いたらしい。部屋中に響くような大きなため息を吐く。
「なんだ、コレだったのかぁ。二人とも真っ赤だからさ、もう、ビックリしたよ」
にっかり、と人の良い笑みが戻ってくる。が、対照的に眉を釣り上げたのは駿紀だ。
「ほら、林原さんだって、驚いたじゃないか!自分が作った血のりなのにだぞ!」
ワイシャツの襟首を掴まれそうになったのを、すんでで避けた透弥は、迷惑そうに眉を寄せる。
「驚くだろうな、隆南がそれでは」
予定では透弥の腕が染まる程度だったはずなのに、駿紀の体まで染まっているのだ。
「そういうことじゃないって言ってるのに」
「いい加減に」
「神宮司、隆南」
大きくはないが、しっかりとした声に二人の口が、ぴたり、と閉じる。
ひとまず再度言い争いが止まったところで、止めた当人の勅使は、透弥を見やる。
「何か、大事なことを忘れてやしないか」
視線を勅使へと動かした透弥は、いくらか眉を寄せつつも小さく頷く。
「そうでした」
話が見えない駿紀は、不機嫌を押さえきれないものの怪訝にもなる。
「何をだよ」
「三十分経っても連絡が無ければ、こちらに引きつけるのが失敗した可能性があると言っておいた」
駿紀は、数度瞬きをする。
なるほど、透弥らしく次善の手も打ってあったわけだ。
が、その可能性も考えていたんじゃないか、という言葉は喉で留めて飲み込む。勅使の冷静そのものの視線の前で、もう一度ケンカし直すのはなかなか難しい。
透弥もこの点は素直に謝罪する。
「連絡が遅くなった」
「や、取り込んでたんじゃあ、仕方ないよねぇ」
にこやかに言われてしまい、駿紀もいくらか赤面する。
「ごめん」
「いやいや、ともかくさ、上手い具合に片付いたってことでしょ?お客サマも帰ったわけだし、ココにいないってことは人質さんも無事なんだよねぇ?」
林原にしたら妙に早口の確認を不思議に思いつつも、その通りなので駿紀は素直に頷く。
「おかげサマで」
「ああ」
二人が肯定したのに頷き返してから、林原は目に光を宿す。
「血のり、役立ったかな?」
「効果絶大だ」
「それなら、嬉しいねぇ」
透弥の返答には多大な別の意味が含まれていると駿紀は思ったが、林原は素直に予定通りと取ったらしい。
一瞬、に、と自信あり気に引き上げられた口元は、次の瞬間にはなぜか、微妙にひきつった笑みになり、ついでに体は一歩後ずさる。
「ま、お互いサマってことにしておこうよ。俺も謝らなきゃいけないし」
今度こそ、駿紀の顔は怪訝そのものになる。
「何で林原さんが?」
事件解決用に血のりを用意して、上手くいかなかった可能性を思って、様子まで見に来てくれたのに。
ちら、と横を見やると、透弥もため息を返したそうな表情だ。
「今日のところは」
そういうことにしておいてもいい、という言葉が飲み込まれたらしいのは、透弥の口調から察しがつく。ずい分と態度が大きい、と、駿紀の内心にまだ残っているイライラが再燃しそうになったところで、林原は完全に扉に張り付く。
「その格好で外出るわけにもいかないよねぇ。僕さ、着替え見繕ってくるから」
「あ、ごめん」
再度わびる駿紀に、なにやら奇妙な笑みを向けると、林原らしからぬ身のこなしの速さで特別捜査課から出てしまう。
ハテナが己の頭上に飛び交いまくってるような不可思議さを感じつつも、扉から視線を戻してきて、ぎく、とする。
にっこり、と微笑んだ勅使と視線が合ってしまったのだ。
「あ、ええと?」
意味の無い呟きをもらしつつ、コレを最初から疑問に感じるべきだったんだ、と、やっと悟る。
透弥は、林原に様子を見に来て欲しい、と言ったはずだ。電話をかけてきた場所だって、間違いなく科研であったはず。
なのに、林原と共に現れたのは東ではなく、勅使だ。
林原が何を謝っていたのか、駿紀にも、やっとわかってくる。
偶然か約束があったのかはともかく、特別捜査課の様子を見に行く途中で勅使に会い、林原は状況を告げた。そして、二人でここに来た。
挙句が、先ほどの惨状だった、と。
駿紀は、ちら、と透弥を見やる。
無表情のまま、微妙に視線が明後日へと漂っているようだ。
状況は大変にマズいらしい。恐らく、本日最大級に。透弥に確認してみたいが、うっかりと合図を送ったりすれば勅使にも丸わかりだ。
ともかく、こういう時には、早いうちに謝るべきところは謝っておくに限る。
「すみません。お時間をとらせた挙句、ご心配をおかけしました」
頭を下げる駿紀に、勅使はあっさりと頷く。
「そうだね、少しぎょっとはしたかな」
二人して赤く染まって言い争っていたら、誰でも驚くだろう。勅使は、それを平静に少しと言ってのけて、笑みを大きくする。
「林原くんには、特別捜査課に物騒なお客様が来ているとしか聞いてないんだよ」
ウソだ、その程度ではついて来ない、と勘が告げる。ちら、と透弥を見やると、それは当たっていそうな表情だ。
明後日の方を見ていても、勅使がどこを見てるかくらいは把握しているらしく、どこか諦め気味に口を開く。
「お客サマは池田真由美、昨年三月九日に山下二郎殺害容疑で逮捕した阿部雄太と関係が深い女です。受付で当該事件担当であった中条班への案内を依頼、担当者に案内される途中、手鏡を割り凶器を創出。つきつけられた担当者は、とっさに階数を違えて特別捜査課に誘導」
面倒そうながら、簡潔で透弥らしいと思わず感心しかかった駿紀は、急に勅使と目が合って、姿勢を正してしまう。
「ずい分、受付担当者に信頼されているんだね」
「津田は、同期なので」
「ああ、津田くんか。となると、お客サマもなかなか侮れない相手だな」
どうやら、勅使も津田を認識しているらしい。しかも、認めてくれているようだ。そんなあたりは嬉しいのだが。
勅使の視線が動くのに合わせて、駿紀も透弥を見やる。
小さなため息の後、透弥は再び口を開く。
「別件で電話連絡した際、隆南が本件発生を連絡」
「ほう?」
一言の相槌で、はっきりと問いを示せる勅使に、畏敬という単語はこういう時に使うのだな、などと微妙に駿紀の思考は逃避する。が、勅使の視線が自分へと向いたので、慌てて姿勢を正す。
「先日教えてもらった連絡方法です」
まだ言葉足らずだと、動かない視線に告げられて、早口に付け加える。
「落ち着かないふりして、受話器を指で叩きました」
「なるほど」
軽く頷いて、勅使は透弥へと視線を戻す。
自班で使っている連絡手段の使用法なんて、わざわざ言わせなくても知っているだろうに、タチが悪い。
「記録により、池田は感情的になりやすく、目前しか見えなくなる傾向が顕著であることを確認。林原に血のりを調合するよう依頼、左腕に仕込み、こちらに戻りました」
そこで、透弥は口をつぐむ。
微妙な沈黙が落ちる。
居心地悪いのだが、うっかり身じろぎでもすれば、駿紀に矛先が向きそうだ。
勅使は、この空気を感じてないかのように、さらりと尋ねる。
「それから?」
妙に言いたくなさそうに、透弥は視線を逸らしつつ、ぼそり、と返す。
「池田が言われたくないと思っていそうなことをあげて指摘、コチラに注意を引きつけ、人質を開放させました」
勅使の片眉があがる。
「池田は、どう引きつけられたんだ?」
「血のりを刺しました」
透弥は相変わらず視線を逸らしたままだ。
どんな風に刺したかなどは容易に想像がつくからか、あまり興味が無いのか勅使は頷いたのみだ。
「で?」
「ここが中条班では無いと告げたところ、凶器を取り落としたので隆南が回収。その後、受付担当が送り出しました」
さすが元勅使班所属と言うべきか、透弥は勅使が聞きたい点のみを抽出してみせたらしい。いくらか笑みを大きくした勅使は、今度は満足そうに頷く。
「なるほどね、ソレが凶器かな」
「はい」
勅使は、無造作に置かれた割れた鏡を、どこか無表情に覗き込む。
「そう何度も刺した形跡は無いけれど?」
語尾が疑問系に上がった時には、駿紀としっかりと視線が合ってしまっている。ぎゃあ、と内心悲鳴を上げるが、ここで逸らしたら、わざとらしいことこの上ない。
透弥が視線を逸らし続けていたのは、こうなることがわかっていたからだ。
「あー、そうですね」
全く無意味な相槌などをうってみるが、その程度で勅使が誤魔化されてくれるわけもない。
「その割には、えらい赤いね。二人とも」
「すみません」
思わず駿紀は、また謝ってしまう。
にこり、と勅使は笑みと浮かべる。
「謝らなくていいよ、何でこんなに赤いのか知りたいだけだから」
喉が妙な音をたててしまう。
結局のところ、透弥に対して怒っていたそのもののコトを林原たちにしてしまったわけで。
何とも、説明し難い。
勅使は、笑顔のまま、視線を透弥へと移る。
「神宮司?」
「池田が血のりを刺してから、凶器を手離すまでの時間分です」
透弥は視線を戻して、先ほどまでと変わらぬ口調で言うと、以上終了とばかりに視線を外す。
駿紀は、ズルい、とつい思ってしまう。が、確かに嘘はついていない。少なくとも、透弥のワイシャツが染まった理由はソレだけだ。
勅使は、刃物の隣の血のりへと目をやりつつ、軽く頷く。
「ホンモノより、流れやすいわけか。ハデに見えるわけだな」
「すみません」
自分の見た目を思い、三度謝罪を口にした駿紀に、勅使は先ほどのままの笑顔を向ける。
「あれだけの勢いで言い争えるんだから、ケガしてたとしてもたいしたことは無いとわかってたよ。だから、心配という点は気にしなくていい。どちらかというと、隆南くんまで赤いのはどうしてかというのが興味あるだけで」
「ええと、それは」
興味なんて言われてしまったら、ますます言えない。
「なんつうか」
「何というか?」
丁寧に言い直してくれなくていい、と駿紀は、また内心で悲鳴をあげる。透弥が視線を外しっぱなしなのは、勅使がどういうタチか、よくわかっているからに違いない。
こんな格好をしていたら木崎なら頭から怒鳴るだろうが、もしかしたら、その方がなんぼかマシかもしれない、とチラ、と思ってしまう。
「ええと……」
「本件の解決方法について、意見の相違があっただけです」
透弥のきっぱりとした声に、思わず駿紀は隣を見る。それはそうだが何か微妙に違う、と思うが、ココで余計な口はきけない。
少なくとも、今は悪意無く困惑しきった自分をフォローしてくれてる。
「意見の相違と隆南くんが赤いのと、関連あるように思えないが」
「あります」
再度、きっぱりと言い切ると、透弥は勅使が口を開く前に続ける。
「お忙しいところ、ご心配とご迷惑をおかけしたことはお詫びします。申し訳ありません」
す、と過不足ない角度で頭を下げてみせつつ、きっちり仕事へ戻れと告げている。ある意味、怖いもの知らずと思うが、もしかしたら勅使の相手はこのくらいでちょうどいいのかもしれない。
苦笑しつつ、頷き返す。
「わかったわかった、今度酒でも飲みながら、改めて聞かせてもらうよ」
と、背を向けようとして、ぴたり、と足が止まる。
ちょうど、着替えを持って来た林原が戻ってきたのだ。
しかも、なにやら先ほどよりも顔色が悪く見える。
三人の視線に、林原は、ぱくぱく、と数回金魚のように口を動かした後、咳払いをして声を取り戻す。
「木崎さん、こっち来る」
指差したのは、扉の外。
この階には一課の班も、関係しそうな他課も、資料室も無い。ということは、だ。
「ここに来るってことだよな」
皆で、顔を見合わせる。
今、こんなの木崎に見られたら、何をどう言われるか。

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