□ 見霽かす □ illumination-3 □
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「ああ、コレね」
言葉を引き取ったのは、駿紀だ。
つい、と背を伸ばして、奥を覗き込む。
「東さん、やっぱ、洗面所ですか?」
「ああ、洗面所だ。間違いない」
はっきりとした返事が返ってくる。
間違いない、の意味がわからず、加納が瞬きするのに、駿紀は小さく肩をすくめる。
「鼻血だよ」
「鼻血、ですか?」
「人を殺したという事実に興奮状態となって、鼻血を出す人間は少なくは無い」
透弥に解説されて、加納はもう一度瞬きをしつつも頷く。
「あの、じゃ、ホシはここらへんのは拭き取らなくても遺体から流れ出たと判断されると思ったんでしょうか」
駿紀は軽く唇を尖らせる。
「冷静に判断したかどうかは、微妙だけど」
あからさまに、途中で途切れるような拭き方だ。むしろ、慌てていたと考える方が自然だろう。
そう装った、というので無い限りは、だが。
植竹とおぼしき人物が病気で倒れ、どこかに強烈に殴打したわけではない、と駿紀たちが判断した理由は、コレだ。
居合わせた人間が、なんらかの理由があって通報せずに立ち去ったのだとしても、ただいただけで鼻血を出すとは考え難い。
彼だか彼女だかは、明確な殺意があったかどうかはともかく、積極的に植竹の死に関与したはずだ。
「致命傷となりうる家具が無いとなると」
「選び放題ってとこだな」
駿紀の視線が向かった先を見て、永井が苦笑する。
入って右手にある棚には、今となっては凶器にして下さいとでも言わんばかりな重量級のモノばかりが並んでいる。
「重そうって以外に共通点が無いってのがスゴいな」
ちょうど視線を落としたあたりの段には花瓶が並んでいるのだが、和風でも単色の染付け、多色のモノ、釉薬だけなどと揃い、平気でその隣に洋風の豪奢な造型のモノが置いてある。
目線の高さにあるのは、人形だ。ブロンズ製であったり、陶製であったり、色があったり無かったり、こちらも統一性らしきものは全く感じられない。
「骨董趣味があったとも言い難い」
言い切った透弥へと、駿紀は肩をすくめる。
「集めた当人がどう思ってたかは別だろうけどさ。ざっと見て価値無し?」
「質の悪い模造品ばかりだろう、林原、どうだ?」
振り返った林原は、ざっと棚のモノを見回す。
「僕にわかるのは、焼き物くらいだけど。少なくとも、その中には値の張るのは無いねぇ」
父親が著名な政治家なだけあり、林原はある程度の目利きが出来るらしい。真面目に見やって言ってのける。
「焼き物の類は、これだけのキズを負わせるだけの力で叩きつければ割れる」
頭蓋骨を陥没させるほどだ、透弥の言うとおりと駿紀も頷く。
「金属系のだろうな、焼きものを模した金属モノが無けりゃ、だけど」
「そんなモノを持ち込んだのだとしたら、とうに無い」
「でも、棚に不自然な間は無いですよ。並べ替えたようにも見えません」
思わずといった感じで口を挟んだ加納は、棚に向かっていた刑事たちが一斉にが振り返ったので、いくらか目を見開いたまま硬直してしまう。
「可能性は、それだけか」
透弥に平坦な声で尋ねられて、慌てて首を横に振る。
「い、いえっ。元にあったモノと入れ替えた可能性はあるかもしれません」
「正解。そこまでやってるとしたら、かなり計画的ってことになるけど」
言ってから、駿紀が林原を見る。
「その可能性があるかどうかを論じるのは、まだ早いと思うねぇ」
「可能性があるのを片端から試すしか無いな」
もう一度、棚のモノをざっと見回しながら駿紀は、少々うんざりとした顔になる。並んでいるのは叩きつければ粉々になりそうな陶器や磁器が多いが、金属製らしいモノや、中までみっしりと何が詰まっていそうなモノも並んでいる。
林原は、そのヒトツヒトツの場所と位置を記録してから、血液反応を見はじめる。
しばらくはかかりそうだ、と駿紀は東のいる方を覗く。
「洗面所直行ですか」
「洗面所の隣が風呂場だ。洗った形跡がある」
「最低、上半身は浴びてるか」
半ば独り言になったが、扇谷が興味深そうに視線を上げる。
「そんなことまでわかるの?」
「ルミノール反応は二万倍に薄まった血液でも反応します」
透弥が返すと、ほう、と頷いて、また視線を落とす。永井たち中央署の刑事たちも、感心した顔つきだ。
扇谷は遺体を再度確認し、はっきりと言い切る。
「ここでわかることは、これ以上は無い」
「そうですか、ありがとうございます」
頭を下げる駿紀たちに、立ち上がった扇谷は頷きかける。
「こっちの手続きはいつも通りで構わないから。搬出していいかな」
「あ、すみませんが、面通しだけさせて下さい」
駿紀は扇谷へ軽く頭を下げてから、玄関先へと向かって頭を出す。あれからけっこう経つのに、まだ松江は血の気の引いた顔で座り込んでいるらしい。が、その側にいるのは千田とは別の警官だ。
千田自身は、なにやら不機嫌そうに眉を寄せた男と、どこか不安そうに首を傾げている女性を前にしている。顔つきからしてと、あたりをつけて、靴に履き替え近付く。
「あ、こちらが植竹さんのご兄弟です。弟さんの半二郎さん、こちらは妹さんで洋子さんです」
振り返った千田が、案の定の紹介をする。
「リスティア警視庁の隆南と言います」
警察手帳を示してから、頭を軽く下げる。どこか不機嫌そうだった半二郎も、困ったような表情になる。
「兄貴が死んだって言われたんですが、本当ですか?」
「この家で事件に巻き込まれた方がいるのは事実です。どなたかを確認したいのですが、ご協力いただけませんか?」
はっきりと確認する者がいるか、それに準ずる確たる証拠が提示されるまでは、遺体は植竹一太郎と思われる人物、だ。
「わかりました」
頷く二人を交互に見つめつつ、駿紀は必要な注意を告げる。
「少々、ショックを受けられるかもしれませんが」
「俺が行こう」
「私も行きます」
洋子も、身を乗り出す。
自分の兄なのかどうかが気になるらしい。弟よりも妹の方が兄との仲は良かったのだろう。となると、もうヒトツ確認はしておいた方がいい。
「血は、大丈夫ですか?」
「は、はい」
いくらかためらいつつも頷いたのに、駿紀は頷き返し、では、と先に立つ。

現場で可能な検証が終わったので、誰かが白布を顔にかけておいてくれたらしい。
が、半二郎と洋子は周囲の血痕に目を丸くする。
「あの」
「いったい?」
今は、それを説明するわけにはいかない。軽く首を横にふり、膝を落として両手を軽く合わせてから、布を取る。
う、と奇妙な声を上げたのは半二郎だ。洋子は、口元に両手を当てて、こみ上げた声をせき止める。
二人の目は、同じように見開かれている。
遺体の、死んだ瞬間の驚愕のまま見開かれた目は、生気を失って虚ろに天を見つめている。仰向きになって、あのヒドイ傷は見えないにしろ、ショックは大きいだろう。
駿紀は、二人が見たと判断して布を戻す。
「ご存知の方ですか?」
「……兄貴です。間違いありません」
こみ上げてきた何かを耐えるように、視線を逸らしながら半次郎が答える。洋子も、口元を押さえたまま、ヒトツ頷く。
「兄です」
呆然と呟くような言葉の後。
「どうして……」
その答えは、まだ駿紀も持ってはいない。振り返ると、まだ林原たちの検証には時間がかかりそうだ。
視線が合った透弥が、軽く頷く。
ちょうど戻ってきた東へと視線をやると、
「ダイニングの方は構わない」
と、頷かれる。少なくとも、直に事件に関わる何かは無いということだ。
ついていった永井も同じ意見らしく、同じく頷いてみせるのへと、微かに首を傾げる。遺族が来たのなら、少なくとも被害者の人となり程度の情報は得なくてはならない。誰が証言を取るか、の意味だ。
「もう少し、現場を見たい」
林原の検証に興味もあるのだろう、自分らの視点で現場にあたりたいのもあるに違いない。
頷き返してから、半次郎と洋子に視線を戻し、軽く頭を下げる。
「申し訳ありませんが、お話を伺えませんか?」
彼らも尋ねたいことは山ほどあるのだろう、同時に頷き返す。

ダイニングに入り、椅子を勧めると、どこか機械的に半二郎と洋子は並んで腰を下ろす。
先ほど、自分たちが目にした現実が信じ切れてない顔つきだ。
相向かいに腰を下ろし、この度は、と口を切った駿紀へと、半二郎が視線を向ける。
「兄貴は、殺されたんですか?」
「今のところ、そう考えています」
よほど、けったいな方法で自殺したので無い限り、と心で付け加える。
駿紀が頷いたのに、半二郎は大きくため息をつく。
「いつか、こんなことになるんじゃないかって思ってたんだ」
「兄さん」
洋子が困ったように呼ぶが、腹立たしいという表情もあらわに半二郎はくってかかる。
「だって、そうだろうが。お前だって、心配してたじゃないか」
「そうだけど……でも、でも、殺されてしまうなんてあんまりだわ」
「う、まぁ、そりゃ……」
妹が泣きそうな顔つきになったのに気付いて、兄はいくらか矛先を緩める。その間に、駿紀と透弥は、視線を見交わす。
口を開いたのは、駿紀だ。
「一太郎さんは、どなたかに恨まれていらっしゃったんですか?」
視線を戻した半二郎が、皮肉な笑みを浮かべつつ、すぐに返す。
「どなたかどころか、山ほどでしょうよ」
「山ほど、ですか」
「金貸してたんですよ、暴利といっていい高利でね」
吐き捨てるように、付け加える。
「あんな汚いことしてりゃ、いつかこうなるに決まってる」
その点は、洋子も同じ意見であるらしく、いくらか視線を落としたまま無言だ。駿紀は少しだけ背を引きつつ質問を重ねる。
「一太郎さんはいつ頃からこのお仕事を?」
「五年か、六年か、そんなものだったと思うんですが」
「六年前です」
首を傾げた半二郎と対照的に、はっきりと言い切ったのは洋子だ。
「その前は、父の遺産管理をしながら会社に勤めてました」
「なるほど、何月かも、覚えていらっしゃいますか?」
感心した視線を駿紀から向けられ、洋子は頷く。
「おおよそですが。五月か、六月です」
「その頃は、お父様はもう亡くなっていらっしゃった?」
「ええ、兄が就職してすぐの頃に」
「俺たちは、父の遺産でスクールを卒業したんですよ」
二人は、駿紀たちの質問にごくあっさりと答えていく。
殺された一太郎は長男で38歳、半二郎は34歳で、洋子は29歳だという。下の二人は、会社員をしている。
一緒に暮らしていないのは、兄の高利貸しを良くは思っていないし、あまり見ていて気持ちのいいものでもないからだ。
それでも、近所にいるのは兄が心配な部分もあるからで、洋子は夕飯を作りに良く通っていた。今晩もそのはずだった、と肩を落とす。
「昨晩も?」
何気ない問いに、洋子は視線を上げて首を横に振る。
「いえ、昨日は来なくていいと兄から連絡があったので」
「取立ての日はそうなんですよ」
半二郎が、口を挟む。困ったように洋子は半二郎を見やるが、そのまま口をつぐむ。否定しようが無いのだろう。
「最近、何かに困っている様子などはありませんでしたか?」
「兄貴が?どうだろうな。しばらく、俺は会ってなかったんで」
首を傾げつつ、半二郎は洋子を見やる。すぐに、洋子は首を横に振る。
「いつもと変わった感じは全く。でも、兄さんはあんまり、そういうこと人に言う人じゃないし」
「そうだな、特に俺たちには。兄貴としてのプライドってヤツなのかな」
二人は頷きあう。
「なるほど。お二人には、どんなお兄さんですか?」
まだ現在形の二人へと合わせて、駿紀は問いかける。
「家族の欲目ってのもあるんでしょうけど、なかなか出来た兄貴でしたよ。金貸しやってるってことを除けば、これ以上無いって言いたいところですけどね」
半二郎は肩をすくめながら、付け加える。
「妙なもん集めるのが好きなのが、なんとも」
あの棚の中身は、本人の趣味で集めたモノなのらしい。しかも、妙なもの、と弟も言うとなると。
「骨董を集めておられたわけでは?」
「いやいや、兄は高価なモノに興味は無いですから」
「その、重そうな物が好きなんです」
洋子が、言葉を捜したが他に見つからない、という口調で付け加える。
「ともかく、そこそこ見栄えがして、安くて、重い物がいいらしいんです。はっきりわかるのは、重いってことくらいです」
あのラインナップを見た後だと、実にすんなりと納得出来る。それに、収集家というのは時として、他人に理解出来ない基準を持っていたりするものだ。
「あの部屋の棚にあったものですね」
「ああ、あそこは月替わりの展示場所みたいなものです」
駿紀の確認に、あっさりと半二郎が返す。
「どういう基準で選んでるのか知りませんが、別の保管室からとっかえひっかえ持って来るんですよ」
ということは、凶器はそちらに移動している可能性もあるわけだ。場合によっては、そちらから持ち出された可能性も考えなくてはなるまい。なんにせよ、早めに確認すべきだろう。
「保管室ですか、どちらかご存知ですか」
「はい」
洋子が告げた場所を駿紀がメモし、透弥が林原たちに告げに行く。
「一太郎さんは、六年前から金貸しを始められたということでしたが、きっかけなどはご存知ですか?」
駿紀の問いに、洋子が困った顔になる。
「すみません、気付いたのが、です」
「会社員をやめたのがってことです。その前も貸してたみたいなんですが、そこらは兄貴がはっきり言わないもんで」
半二郎が解説するのに、駿紀は頷き返す。
「兼業をやめたのが六年前ということですね」
「はい、会社を辞めた、と言うんで、これからどうするんだって訊いて」
洋子が、その通りだというように頷いている。
「別に暮らすようになったのは、いつからですか?」
「俺は、兄貴が会社辞めて、三ヶ月くらいじゃないかな。家でやるようになって、見たなり、嫌気さしたんで」
「私は、一年後です」
駿紀から、すぐに返事が返らない理由に、少しの間の後で気付いたらしい。洋子は、うつむく。
「その、やはり、取り立てるところを見かけるのは……」
「寄りつかなくなった俺と違って、洋子は夕飯つくりに通ってますけどね」
半二郎が付け加えるのに、駿紀は軽く頷いてから、うつむいたままの洋子を見やる。
「夕飯だけですか?」
「一緒に、朝食の準備もしていきます。仕事があるので、朝、来るのは難しいんです」
視線が上がってきたのへと頷き返してから、駿紀は質問を重ねる。
「食事の準備だけですか?」
「はい、掃除などは自分でします」
「自分のモノを、勝手に動かされるのが好きじゃ無いもんで」
再び半二郎が付け加えたところで、透弥が戻ってくる。テーブルに手をつきながら軽く動いた指に、駿紀は半次郎たちにはわからぬほどに目を見開く。
ナイ。
たった二文字だが、意味するところははっきりしている。
現場の棚に並べられた重量級の置物の中に、植竹一太郎を強打したモノが存在しない、ということだ。
凶器は移動した、ということになる。
いない間に取った証言の内容を、駿紀の背後から読み取った透弥は、二人を見やる。
「一太郎氏が、どのようなコレクションを集めていたか、内容をご存知ですか?」
「いくつか印象的なのはありますけど、全部は……」
「変わったのは、覚えてますけどね」
洋子も半二郎も、心もとない返事だ。が、その印象的なモノが凶器の可能性もある以上、確かめないわけにはいくまい。
「では、保管室から無くなったモノがないかの確認をお願いします。わかる範囲でかまいません」
わかる範囲で、というのに、ほっとしたように二人は立ち上がる。

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