□ 見霽かす □ illumination-5 □
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聞き捨てなら無い言葉に、代表して口を開いたのは駿紀だ。
「音が期待出来ないって、どういう意味で?」
「防音になってるよ、ココ。ほら」
林原が壁を叩いてみせると、確かに音の反響は失われるのがわかる。
「この部屋だけだ。壁の塗りも新しい」
ぽつり、と東が付け加える。理由はともかくとして、この部屋は取り立ての為に改造されたということだ。
いつ気付いたのか、林原より先に確認して回っていたらしい。行き届いた細やかさは、科研だからというより現場検証の神様と呼ばれる東だからこそだろう。
「なるほど、多少声が大きくなっても近所には迷惑にならないってわけか」
普段はその方がいいのだろうが、殺人が起こったとなると少しでも多くの情報が欲しい立場としては厄介だ。
近隣の聞き込みに出た刑事たちも、有力な証言が得られず、すっかり暗くなった今でも回っているのだろう。
とはいえ、さすがに時間的な制約を感じたのだろう、ぼちぼち戻ってくる。
「どうだ?」
と永井に促され、口々に報告していく。
「ガイシャの評判は悪くないです」
「職については、親の遺産で悠々自適と思ってるようですね」
「少なくとも、隣近所との表立ったトラブルはありません」
やはり、不信な物音が無かった、というので一致している。今日のところは、犯人に該当すると思われる目撃証言も無い。明日以降も、地道に聞き込むしかない。
道路の閉鎖は解き、植竹家の敷地のみ立ち入り禁止の手配をかけて、今日はここまでだ。



翌日、捜査会議より早くに到着した駿紀は、透弥が更に早いのに軽く目を見開く。
自分もあまり寝てはいないが、透弥はほとんどに違いない。
「もう来てたのか」
「呼び立てるだけのことはしておくべきだ。違うのか」
透弥が書類から視線を上げないまま言う口調に、駿紀もそうだろうというニュアンスを感じて浮かびかかった笑みを噛み殺す。
「もちろん。で?」
もうすでに、かなり読み込んでいるはずだと踏んで尋ね返す。
「古関は家業の経営不振、稲本は友人の保証人、沢木は家族の難病治療費、大藪は父親の借金」
すらすらと上がったのは、借金の理由だ。
「浪費じゃなきゃ構わないってことだな」
「取り立て方法からして、道理だろう。各々、他の金融機関とのやり取りの後、植竹氏からの融資を受けている」
続けて上げられた借金総額に、駿紀は思わず、うわ、と声を上げてしまう。
「他のって、銀行じゃ無いよな?」
「当然。先ほどの金額は抱え込んだ利子が含まれる」
「どっちにしろ同じじゃないのか?植竹氏が上乗せしてた利子だって、スゴイんだろ?」
「利率は元の金融機関よりわずかに少ない程度だが、通常より返却期間がとてつもなく長く設定されているから、月々の支払い金額はそれなりに抑えられていた。冠婚葬祭などの急な用件による出費の増減にも対応している。無駄な出費を一切許さない代わり、破綻も無い」
ふうん、と呟きながら、押収して来た帳簿の一冊を手にする。
「スゴイ利子でも、融資を受けられて返し続けることが出来るだけマシってわけか。破産で逃げたりはしてないんだな」
「破産に関しては、収支の詳細を握られている時点で不可能だ。そのあたりもよく考えられている。契約書の条項は、他の金融業者も参考にしたくなるかもしれない」
微妙に含みがあるように思えて、駿紀は軽く眉を上げる。
「植竹一太郎に不慮の出来事が起こった場合、半二郎が引き継いで契約を受け入れないと、取り立ては元の金融会社に引き継がれる」
「え、そんなこと可能なのか?」
「弁護士をかませて緻密に構築してある。長年に渡って公私全てを握る危うさと万一の可能性は考慮していた」
一瞬見開いた目を元に戻して、駿紀は軽くため息をつく。
「更に、半二郎氏が金貸しって職は嫌いと、それとなく知らせてある、か」
一度、恐怖を味わった乱暴な取立てのことを思えば不穏になりようがない、という仕組みだったわけだ。もちろん、順調に返却していれば、だが。
「皆が皆、円満返却か?」
「分類するなら、沢木は優良だ。家族の協力も得て時に予定より多くの返却をしているし、滅多なことでは返済減額も無い」
「他は?」
尋ねた駿紀は、昨日押収した書類を全部読みこなしたのか、と内心舌を巻く。が、そんな駿紀の表情の変化を見ているのかいないのか、いつも通りの無表情で透弥は続ける。
「古関と稲本も悪くは無い。景気の影響を受けやすい企業規模だから、返済の進捗としては予定ととんとんだ。大藪もそうだが、時折余計な浪費をするクセがあるらしい」
どんな些細な収支も見逃さないとばかりに、みっちりと書かれた帳簿は、ナナメに見るだけでも、わずかな浪費すら許してはもらえなさそうだ。
「そんなことしたら、どうなるんだ?」
「質屋行き」
「あー」
早期に発見されれば、ソレは未使用、もしくは新品同様と評価され、比較的高価で引き取られる。質流れまでの期間を短く設定すればなおさらだ。
「ってことは、表向き金銭トラブルは無し、か」
「帳簿上は」
透弥らしい修正に肩をすくめつつ、駿紀は返す。
「でも、他に記録を残す習慣は無かった」
「内面を形にするのは好まなかったのだろう」
聴取からの情報も含めれば、透弥の見方には賛成だ。
昨日、現場となった植竹一太郎の家を一通り捜索した限りでは日記やそれに類するモノは発見されなかった。荒らされ、奪われた形跡も見つかっていない。
だからこそ、物取りではなく顔見知りと判断したのだが。
「どうも、トラブルの形跡が無いな」
「相談の内容がトラブルとは限らない」
駿紀が思わず呟いたのに、すぐに透弥が返してくる。
「そりゃそうだけど、相談なんて絶対の勢いでしない人間が、友人を呼び出すってのは尋常じゃないだろ」
「相談しつけないからこそ、他人から見れば些細なことを大げさに伝えただけという可能性もある」
「相手に有給まで取らせてるのに?」
透弥は無表情なまま、返してくる。
「人は往々にして自分を基準に物事を考えがちになりやすい」
「六年前まで、自分もサラリーマンだぞ」
「緻密だからといって、気配りが出来るとは限らない」
「まぁな」
頷いてから、駿紀は軽く肩をすくめる。透弥が本気で反対してると思ったわけでもないし、駿紀も本気で言い返してるわけではない。
考えられることは、一通り上げてみるべきなだけだ。時に、別の可能性に気付くことになる。
が、今のところは無さそうだと切り上げる。
「ガイシャが大げさに言ってたのかどうかってのは、はっきりさせたいな」
「凶器の特定も、だ」
「ソレだけどさ、壊れたとすれば、キズから何か出る可能性ってあるのか?」
検死窓口でなく扇谷に直に連絡しろと透弥が言ったのは、科研にアレルギーを起こさない相手と踏んだからと思っていた。実際のところ、扇谷は科研の捜査を肯定的に捉えてくれていた。
医学的な見地だけでなく、何らかの発見があれば、おろそかにはしないでくれるはずだ。
「少なくとも、扇谷さんは積極的に探す」
断定で言い切った透弥は、あまり機嫌の良くない顔つきで続ける。
「現場に凶器が無い以上、周囲の探索も必須だ」
「現場の警備もしばらく解けないし、機動隊増員してもらうか」
「人数は、東さんに相談だ」
現場検証にかけては右に出る者無しの東なら、最少人数で効率良くやってくれるだろう。
「だな、捜査会議で決めよう」
「検死の経過は、夕方確認する」
透弥の言葉に駿紀は頷いてから、立ち上がる。
「じゃ、会議室行こう」

昨日までの捜査状況整理と確認をし、借り手と現場近隣の聞き込み割り振りをしていく。
駿紀が内心驚くくらいにすんなりと進んでいるのは、永井班の刑事たちが指揮権を完全に投げてくれているからだ。かといって、気が入っていないわけでもない。
透弥が元所属していたというのが大きいな、と駿紀は考えつつ、話を締める。
「では」
各々、立ち上がり、動き出す。
急ぎ足で会議室を、ひいては本庁を後にするはずだったのだが。
真っ先に扉を開けた永井が、足を止めて不思議そうな顔つきになる。
「おや、昨日の青年。どうした?」
その声に、会議に参加していた林原が立ち上がる。
「加納ちゃん、どうかしたかな?」
誰の目から見ても、加納の表情は明らかに変だ。興奮に頬が紅潮してるようなのに、目が微妙に虚ろに見える。
「加納さん?」
駿紀の声にはじかれたように、やっと口を開く。
「その、クビに」
「クビ?!」
思わず、駿紀が目を丸くしてオウム返しにしたのに、加納はあわてて首を横に振る。
「あ、機動隊をです。そんなに科研がいいなら、行っちまえって立松さんが」
透弥の顔に、不機嫌というより剣呑なモノが一瞬よぎる。
機動隊を束ねる立松の名は、駿紀も知っている。彼は、昨日の事件がどのようにして特別捜査課に回ったのかを知って恐怖したのに違いない。
科研を積極的に使う特別捜査課を、一課があまり好意的な目で見ていないのは皆が知っている。妙に協力依頼の書類が積み上げられているのだって、見るとは無しに見ているはずだ。それを仕掛けたのがリスティア警視庁一の検挙率を誇ると言われる木崎というのもおぼろげに知られているわけで、彼自身の思惑がどういうところにあるにせよ、周囲は好意どころか嫌われてると見ているのは間違いない。
一課は世間からの注目度も高く、本庁でも花形扱いだ。そんな部署に嫌われた課に積極的に協力しただなんて思われたくないのは人情だろう。
だからといって、一課三班の不在を理由に特別捜査課に連絡を入れた加納を即日移動とは、さすがに乱暴過ぎる。
透弥ならずとも、立松の小心ぶりは愉快ではない。
いつもの無表情に戻った透弥が尋ねる。
「今日付けで科研に移動になった、ということか?」
「と、思うんですが」
加納の返事が微妙にあいまいなのは仕方ないだろう、正式の辞令が降りたわけではないのだから。しかし、立松に追い出された時点で、話は決まったと判断していい。
「それはツイているな。科研で学ぶべきことは多い」
透弥に言われたことを、加納が理解する前に林原が満面の笑みで手を引く。
「そうそう、早速やってもらいたいことが山ほどだよ。それにね、神宮司の言うとおり、遠くない内に早めに科研に来てて良かったって思うからねぇ」
「へ?」
ぽかん、と目を丸くする加納へと、人好きのする笑みが振り返る。
「近い内に科研無しの捜査なんてあり得なくなるし、将来的には少なくともリスティア警察史には残るよ」
「左遷じゃ無くて栄転だってことだよ、頑張れ青年」
永井に肩をたたかれ、加納は大きくしたままの目で瞬きしながら連れられていく。
「増員は難しそうだな」
加納へと声が届かない距離になってから、ぽつり、と東が言う。まいったな、と口にする代わりに駿紀は軽く髪をかき回す。
「ですね、あんなん見ちゃ、気の入った捜査も期待出来ません」
「何か、トラブルでも?」
新たに加わった声に、皆が振り返ると受付担当の津田が立っている。皆の視線が集中すると、にこり、と受付らしい笑みを浮かべる。
「中央署との合同捜査だとうかがったので、会議室をこのままキープするかの確認に来ました」
「そんなことして、大丈夫ですか?」
一室をキープし続ければ他に迷惑がかかる可能性もあるだろう、と駿紀は首を傾げる。
津田の笑みに、少しだけ意味深なモノが加わる。
「もちろん、鍵も用意出来ますよ」
永井たちの視線があるからだろう、彼女もあくまで外行きの口調だが、瞳はイタズラを仕掛けるような色だ。
会議室をキープすること自体はありがたいので、駿紀はそれ以上迷うのを止め、頷き返す。
「じゃあ、お願いします」
「わかりました、では鍵はこちらに」
津田は、準備良く持ってきたソレを駿紀の手に預けながら、さりげなく付け加える。
「それから、人がいるのなら集めましょうか?」

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