□ 見霽かす □ illumination-7 □
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大藪夫妻のほか、従業員にも近所の住人にも話を聞いて回れば、すっかり外は日が暮れかかっている。
無言でハンドルを握っている透弥の隣で、駿紀がほんの微かに首を傾げる。
「トラブルの形跡は全く無い、と言って過言じゃなさそうだな。大藪さん本人も奥さんも、会社としても突出したような悪いウワサも無いし」
むしろ、良いウワサばかりだったと言うべきだろう。
透弥も同じことを感じたのだろう、あっさりと返ってくる。
「永井氏らの方次第ではあるが、早めに範囲を広げるべきだ」
「ガイシャが何を相談しようとしてたのか、だよな。殺人にまで発展するほどの内容だったのか」
直前に悩みがあるとこぼしていたからといって事件に直結しているとは限らないが、注意すべき情報であることは確かだ。
カーブをきるのを待ってから、駿紀は再び口を開く。
「まず誰かに頼ること無い人間が相談もちかけるってのは、そうとうだよな」
「本人に取っては」
意地の悪い言い方だが、透弥の言うとおりだ。
「もうちょっと人となりを掴まないと」
半ば独り言のような言葉には、冷たいくらいの一言が返ってくる。
「死因と凶器を明確にするのが先だ」
透弥らしい言葉に、駿紀は小さく肩をすくめる。
「そりゃそうだけど、その前にさ」
「何だ」
短く問い返されたのに答えようと口を開きかかった駿紀は、過ぎいく景色に軽く唇を尖らせる。
「人が悪い」
「何が」
ぶっきらぼうにしか返らないが、それが何だかおかしくて駿紀は首をすくめて笑いを堪える。
扇谷のところに向かう前に植竹一太郎が契約している弁護士のところに寄った方がいい、と言おうとしたけれど、景色を見てわかった。
透弥が向かっているのは、国立病院では無い。それに、朝は駿紀より早く書類を読み込んでいた。
ということは、だ。
「さすがだな、弁護士の住所覚えてるってわけか」
「その程度は当然だ」
「なるほど」
透弥にとって、大藪らに交渉の時間を与えるのは、わざわざ言うまでもないことなわけだ。
無論、弁護士から得られる情報が重要なのもあるが。
などと考えているうちに、車は古びたビルの前に止まる。

現れた弁護士は、植竹家とは先代からのお付き合いというのが、よくわかる人物だ。ほどんど白くなった髪に、一時代昔に流行った型のスーツが似合っている。
野田喜平と名乗った老人は、駿紀たちが訪れた理由を聞いて腰が抜けたようにソファにへたり込む。
「一太郎くんが……」
そこまでしか声にならないまま、しばし絶句する。
呼び方からして、野田は息子のような視線で見守ってもいたのだろう。植竹一太郎の死を知った時の人々の反応を見ていれば、生前の人柄はおおよそうかがえる。
「心中、お察しいたします」
両親が亡くなった時の祖母の憔悴ぶりを知っている駿紀は、心から言う。
が、残念ながら野田には、そのままでいてもらうわけにはいかない。
「万が一の時のことを、ご相談されていたと伺っております」
透弥の冷静な口調が、野田を本来の職へと引き戻す。
「ええ、はい。その通りです」
まだ、いくらか掠れた声で返してから、立ち上がる。
「急いで、手続きを開始しなくてはなりますまい」
「詳細な内容をお聞かせ願うことは出来ますか」
警察が来た理由を、弁護士である野田は正確に察してくれる。
「当事者が了承し、同席の上であればですが」
「では」
当事者たちに連絡を、と駿紀は続けたかったのだが、それは困惑した表情で顔を出した事務員に遮られる。
「あの、また警察の方が」
また、という単語に反応したのは、事務員に連れてこられた方も同じだ。ひょい、と覗き込んで、に、と笑顔を浮かべる。
「おや、さすがに早いな」
その言葉で、野田にも駿紀たちの知り合いが来たのだとわかったのだろう、永井もあっさりと通される。
野田へと挨拶と自己紹介をしてから、駿紀たちへと向き直る。
「どうやらドコも似たり寄ったりのようだな」
植竹を担当していた弁護士の連絡先までは、まだ捜査会議に出ていなかった。ソレを調べてまで、永井がここに来たということは、彼らがあたった方も、永井の言うとおり大藪と同じような反応を見せたとみていい。
「弁護士さんの連絡先がわからなかったから、弟さんに連絡したよ。仕事が終わり次第、こちらに向かうそうだ。状況が状況だからなんだろうが、遺産相続のことなどすっとんでたようだね」
確かに、昨日は弁護士のべの字も証言中に出なかった。自分が遺産を相続する立場だということ自体に、思い至ってなかったのだろう。
ほどなくして現れた植竹兄妹は、野田から遺産相続の話をされると、複雑な表情になる。
兄を殺人というカタチで失った整理が、昨日の今日でつくはずが無い。むしろ、浸透してきて眠れぬ夜を過ごしたのがありありとした顔つきだ。
「そういうのは、せめて、もう少し落ち着いてからってわけにはいかないんですかね?」
半次郎が口にすると、野田は表情を改める。
「私もそうしたいのは山々だが、遺言事項に時間制限のあるものがある。人の生活を大きく左右することを、仕事の責任上、放っておくわけにいかない」
きっぱりと言い切り、一太郎の残した金融に関する用件を説明する。
自分が後を引き受けない限り、四人の借財人が取り立ての厳しい金融業者に追われることになる、と知った半次郎は困惑した顔つきになる。
「でも、兄貴だって同じようなことをしてたわけですよね?」
早々に家を出た半次郎は、植竹一太郎が正確なところ、どんな風にしていたのかを知らないらしい。それは洋子も一緒で、野田からの説明を聞くうち、目を大きく見開いていく。
「そんな」
「まさか」
確かに、取れる上限の利子は取っている。返済期間を考えれば、一太郎に入る金額はかなりなモノだ。が、けして相手をむやみに追い詰める気は無かった。やむを得ず莫大な負債を抱えることになった者たちが、憐れみをかけられることなく、返済をし終えて胸を張って生きていけるように。
そこまでの明確な意思を秘めていることは、駿紀たちも知らなかった。
「でも、俺にそんな緻密なことは出来ませんよ。今の仕事を投げ出すってわけにもいかないですし。でも、ここまで頑張ってきた人を破綻させるわけにも……」
困惑しきりの顔つきになる半次郎に対して、決然とした顔つきになったのは洋子だ。
「半次郎兄さん、私も手伝います。野田さんにも協力していただきますし、借りている方たちも協力して下さるはずです」
いくらか気圧されたように妹をみつめていた半二郎は、やがて深いため息をつく。
「言っとくけど、俺は本当に金貸しは好きじゃないぞ」
「私も好きとは言えないけれど、一太郎兄さんが託した以上はやるしかないわ」
野田が、何度も頷く。
「頼もしい限りだ。もちろん、協力は惜しまないよ」
「全員分を引き受けるかどうかは、先ずはお話させていただかねばなりません」
条件が折り合うかどうかも、まだわからない、と半二郎は続ける。
「それに、詳細の条件変更はこれから、というのは可能かどうかですが」
「君が話し合いの席につくことを承知してくれた時点で、期限の件は問題は無い」
なるほど、万が一の際は弟にと言い残した一太郎の判断は間違っていないのだろう、と駿紀は思う。後は、四人の借財人らとの話し合い次第だろうが。
「先ずは、話し合いの席につく旨、彼らに直接伝えた方が親切かと思いますよ」
駿紀の言葉に、永井も頷く。
「連絡は今かと首を長くしてるはずですのでね」
「申し訳ないとは思いますが、話し合いには立会い同席をお願いします」
半ば強制的だが、植竹兄妹にも否やは無い。借財人たちも話を通じてくれた警察を排除するような真似はしないだろう。駿紀の付け足しに、永井がかすかな笑みを返す。
後のことは永井に任せて良さそうだ。
「では、私たちはこれで」
と頭を下げる駿紀と透弥に、永井が低い声で告げる。
「伝言だ。今日は無かった」
永井が一度本庁に戻ってきたことがわかっている駿紀たちには、意味は簡単だ。今日のところは凶器発見には至っていない、ということだ。
かすかに頷き返して、二人は弁護士事務所を後にする。
向かうのは、国立病院だ。

すっかり駿紀にも馴染みになってきた研究室だが、今日の扇谷の表情に笑みは無い。
「死亡推定時刻は一昨日、10月17日22時から24時の間、死因は後頭部殴打による頭蓋骨骨折及び陥没、傷から考えられる凶器は重量のある固形物だ」
死亡推定時刻の範囲がより狭まった以外は、昨日の検死と変化は無い。
「殴られたのは、一回ですか」
駿紀が首を傾げると、扇谷は頷いてみせる。
「キズから確認出来る限りは、一回だ。骨の骨折状況からいっても、間違いないだろう」
「薬物摂取などは?」
透弥が、無表情に問う。
「無いね、目立った持病も見つかっていない」
「ということは、意識がはっきりしているところを、背後から殴られたってことになりますね」
駿紀が軽くあごに指をやりながら考えつつ言うのに、扇谷は再度頷く。
「私は、そう判断するよ」
「となると、やっぱり凶器の発見は急がないとなぁ」
「見つかってないのかい?」
「はい、今のところは。あのキズなら、絶対に血液が付着してるはずなんですが」
少なくとも、棚に飾ってあったモノに関しては血液反応は見つからなかった。今日は保管室にある方のモノを林原と加納が確認しているし、東率いる婦警部隊が周囲の凶器探索に乗り出しているが、成果が無かった。
「机の上のコレは何です」
質問というより詰問と表現した方が合っている口調で、透弥が口を挟む。
「おや、目が早いな」
口調に驚くより、むしろ透弥が気付いたことが嬉しいというように扇谷は目を細める。
やはり、父親みたいだなぁ、と駿紀は思ってしまう。が、すぐに、そんな生ぬるい感傷は吹っ飛ぶ。
「ソレは、遺体の傷口から発見されたモノだ」
透弥が指でつまみ上げたビニール袋には、赤黒く染まった細い何かがある。
「繊維状だ。洗浄していないから、私はそれ以上のことはわからないがね」
「これは、このまま科研に回しましょう」
すでに検死担当者たちにより遺体周辺の証拠品として分類されたソレを、透弥はしまい込む。
ソレが本当に事件解決に繋がる何かかどうかは、わからない。
だが、ソレが何かを知ることが重要だ、と駿紀も知っている。
こんな小さなモノを、血まみれの傷口から見つけ出した扇谷も。
少しずつでも、植竹一太郎の命を奪った者へと近付く為に。



すっかり夜も更けてからの捜査会議は、透弥からの検死結果報告から始まる。
詳細な死亡時刻と致命傷などの状況が確認され、そして傷口から発見された繊維が提出される。
「さっすが扇谷先生だねぇ、こんな小さいの、あの血だらけからよく見つけてくれたよ」
瞳を輝かせて見入る林原に、透弥が訊ねる。
「岡田教授か?」
「そうなるね。合成繊維ならお手の物だし、天然も見識が深いから」
駿紀にしてみれば、国立大学といえばキャリアかお役人くらいなイメージくらいだったから、こうして出てくる証拠一つ一つを解析出来てしまうというのは、驚きだ。永井班の北原や西原も似たような感じの顔つきだが、永井は別の感想を抱いたらしい。に、と口の端を持ち上げる。
「ほいほいと最先端の権威を引っ張り出してくるなあ」
「証拠として認められないような研究をしているようじゃあ、最先端を名乗る資格は無いでしょう」
あっさりと林原は言い、に、と笑い返す。
「それに、国立大では科研の必要性は認識されてるんですよ」
「させている、が正しい。それより、凶器捜索はどうなってる」
透弥はさりなく訂正してから、起動修正する。
「人目につかずに移動出来そうなルートを中心に捜索したんだけど、今日は発見出来なかった」
林原は地図を広げてみせる。捜索済みの個所には印が入っている。
「今日だけでこんなに?」
思わず口にしたのは大坪だが、皆、似たり寄ったりの感想を抱いてる顔つきだ。津田を始めとして、現場捜索など初めてのはずなのに、範囲は広いくらいだ。
「想定以上の戦力であることは確かだ。明日も引き続き、こちらの方面の捜索を続ける」
東が、静かに範囲を示す。
「加納ちゃんも頑張ってくれてるよ。植竹一太郎重量級コレクションのカタログが仕上がったから、渡しておくね。ひとまず一冊だけど?」
「先ずはこれであたってみるよ。どうしても増やす必要がある場合は、改めて」
開いて中を確認しつつ、駿紀が頷く。
「了解、俺の方は血液内に凶器の欠片がまぎれてないかの依頼を済ませてきたよ。少なくとも、何か混じっているかの解析は三日でと相原教授は請け負ってくれた」
林原は、明日も新たな証拠である繊維を手に国立大に向かうことになる。
「さて、証拠関連はこんなものですね」
駿紀は、皆へと向き直る。
「債務者の方は、俺から始めよう」
永井が立ち上がる。
「古関のところが経営不振に陥ったのは、下請け一辺倒だったせいだ。ガイシャが融資を引き受けてから、そういった部分の改善も進めて、今では直に請け負う仕事の方が多い。この点は帳簿で確認済み。景気に左右されることはあるが、滞納は無し。ここまでの話は、従業員にも確認したが全くブレは無い。古関自身は、ガイシャの死亡を聞いて、この世の終わりのような顔になったよ。話を聞くには、植竹半次郎との連絡をつけると約束するしか無かった」
「こちらも一緒だ」
永井のポイントを抑えた話が終わったと見て、大坪が立ち上がる。
「一緒と言うか、酷かったと言った方がいいかもしれないな。なんせ、ガイシャが死んだことを伝えたら、文字通りひっくり返っちゃったから。気付いてもらって落ち着いてもらって、結局のところ植竹弟に連絡つけるって約束したあたりは、永井さんと同じですがね」
それほどまでにショックを受けた稲本は、友人の不慮の死のせいで借金を抱えることになったのだそうだ。友人の死因自体は不審なものではないが、ストレスから倒れたのは確かだったので、植竹一太郎が融資を引き受けてくれて本当に助かったそうだ。そして、この点は周囲も同様の反応であるあたりも、変わらない。
朝倉たちがあたってきた沢木も借金の内容が異なるだけで、同じことだ。駿紀たちも、報告するのが面倒になってきそうなほどにトレースしている。
永井が、半次郎への引継ぎ交渉の場でも不穏な要素はなんら無かった、と付け加える。
「第五の債務者が隠れているとは考え難いですから、植竹一太郎に融資を断られた人間を洗う方がいいでしょう。それから、他にトラブルが無かったか。カタログが出来たので、無くなったモノがなんなのかの再確認」
駿紀が割り振りを決めたところで、透弥が付け加える。
「それから、棚の指紋検出」
「了解」
何を示唆したのか、林原には充分だったらしい。に、と笑い返す。



捜査会議が終わったのは、夜半どころか明け方に近い時間だ。
特別捜査課の居室へと向かいながら、駿紀は首をひねる。
「ガイシャは、どうして金融業なんてする気になったんだろう?」
「資金があったとはいえ、すでに別の職に就いていたのだし、家業という訳でもない。何らかのキッカケが存在した」
透弥が、冷静な口調で返す。視線は前を向いたままだ。
「かなり強力なヤツが、だ。そうじゃなきゃ、あんな面倒なことするもんか」
駿紀が首を傾げたまま返す。
相手の生活を監視するような勢いの帳簿管理だけではない。経営コンサルタントのような真似までしてのけていた。返済期間は、気が遠くなるほどに長大だ。
「まるで」
言いかかった言葉が、喉でひっかかる。
「まるで、贖罪」
駿紀の言葉を引き取った透弥は、平坦な口調で返す。
「第五の債務者ではなく、第一の債務者を探し出すべきだ」
早めに範囲を広げるべきだ、と口にした時点でその可能性を考えていたに違いない。
頷き返しながらも、駿紀は自然と唇が尖る。
「やっぱ、人が悪い」
何を言い出したのか、というように軽く片眉をあげた透弥は、駿紀と視線が合って何が言いたいのかを理解したらしい。小さく肩をすくめる。
「確信したのは、今日の捜査状況を把握してからだ」
言外に今さっきだと告げられる。微妙に駿紀は目を細める。
「そうか?」
「可能性として考えられる、という段階でうかつに口にすべきではない」
きっぱりと言い切られてしまえば、駿紀もそれ以上は文句も言えない。軽く伸びをしながら、話を切り替える。
「今日のところはここまでだな、続きは一眠りしてからにしないと」
集中力で目前の数日は乗り切ったとしても、その後が続かない。犯人を追い詰める為に、休息は必須。それは、早く早くとどこかで焦る自分に言い聞かせる呪文でもある。
「その前にもう一仕事だ」
透弥の冷静な声に、今度は駿紀が肩をすくめてみせる。
「ああ、そうみたいだな」
二人の視線の先に、木崎が現れる。

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