□ 見霽かす □ illumination-10 □
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事件関係者として国立大の人間に会ったことはあるが、こうしてキャンパスに足を踏み入れるのは初めてだ。
受付での透弥の脊髄反射フェミニストぶりを横目に、駿紀は周囲を見回す。
「アレがよく新聞なんかで出るヤツ。文学部のシンボルマークみたいなもんだよ」
林原がのんびりと指差してみせる。
「へええ」
「あっちにもイロイロあるんだけど」
「隆南、入構証だ」
平坦な声で口を挟んだのは透弥だ。面倒そうに林原が指したのとは反対を示す。
「用があるのはこちらだ」
「あいよ」
林原が何やらつぶれた声を出して大人しく歩き出す。
その様子が腑に落ちず、駿紀は透弥の袖を引く。
「何か、嫌そうか?」
小声で訊ねたのに、透弥からの返事は普通の声だ。
「教授がウルサイのだろう。いい加減、自分でどうにかしろ」
「ウルサイ?」
後半はともかく、前半は少々聞き逃せない。
「もしかして、実は、あまり捜査に協力するのは乗り気じゃ無いとか?」
「あ、それは無いから大丈夫。俺が顔出し続けてると研究室に戻って来いってね、ウルサイの」
え、と目を瞬かせる駿紀に、透弥が苦笑を向ける。
「優秀な人材は、どこでも欲しがる。そういうことだ」
「ああ、そういうことか」
やっと、腑に落ちる。なぜ、最先端の研究にいそしんでいるはずの国立大の教授たちが、日陰の存在に甘んじている科研に快く協力してくれるのか。
自分の研究室に迎えたいほどの人材が、そこにいるからだったわけだ。
感心したように頷く駿紀へと、林原は手を振ってみせる。
「買いかぶられてるだけだから。すんなり協力してもらえるのはありがたいけどね」
本人の評価はともかく、透弥はお世辞を言うような性格で無いことは良く知っている。
「いやいや、でも、どうして科研を作ろうなんて?」
大学の研究室で引く手あまたなら、そちらで大成することだって出来たのではないのだろうか。
「え?面白そうだったから」
けろり、と返ってきて、駿紀は目を丸くする。
「え」
面白そうで人生決めていいのか、いやまだ林原なら研究室に戻るという選択肢が残されているのだろうが。
これでもかと目を丸くしている駿紀に、林原が笑い声を上げる。
「誰もやってないことを、やってみたかったからっていうのも大きいんだけど。人のツボをつくのが上手いのが、一人いたからかなぁ」
「それって」
意味ありそうな口調を聞き逃すほど耳は悪くない駿紀が、先ほどから無言のままの透弥を見やる。
が、透弥は一歩先をとっとと歩いていくばかりだ。
その間に構内でも最も新しい部類に入るであろう建物の前に来る。
「研究系は最新設備があってナンボってとこもあるからね、国立大の中じゃ一番新しいんだよ」
林原の解説を聞きつつ階段を上っていくと、なにやら不可思議な臭いが漂ってくる。
「この階から、悪臭で有名な研究室目白押しだよ」
「へえ?」
先ほどから驚きっぱなしだ、と我に返って駿紀は苦笑する。
透弥の方は、迷うことなく歩いていく。
「やっぱ、卒業生なんだなあ」
思わず感心すると、林原が目を瞬かせてから、視線の先に気付いてにんまりとする。
「自分の卒業した学部が入ってなきゃ、研究室の場所なんて知らないよ。神宮司はこっち系の単位も選択してたからね」
最終学府では、スクールと違って専門性の高い教育を受けることが出来るが、その為には学部を選択しなくてはならない、とは駿紀も知っている。例えば、医師を目指すなら医学部へ進学する、といった具合にだ。
「警官とか検事になるには、どこの学部?」
「警官はわからないけど、検事は法学部だね。司法試験あるから。一年目に合格するのがいないとは言わないけど」
「着いたぞ」
透弥が足を止めた扉には、分析化学第5研究室、とある。隣に小さい黒板が立てかけてあり、何人もの名と在室かどうかが記されている。
「さあて、何が出たかな」
あっさりと切り替えた林原は、捜査に向かう時に見せる、獲物でも見つけたような顔つきになる。
ノックにくぐもったような声が返り、扉を開いた先くと、うす汚れた白衣の男が椅子に腰かけて背を向けている。
向けているどころか、何やら取り込み中であるらしい。
「相原准教授、こんにちは」
林原が声かけた途端、跳び上がるように振り返る。
「何だ、林原か」
あちらも驚いたようだが、木崎や勅使と変わらない年頃なのに駿紀も驚く。何となくだが、教授というのは扇谷の年代のイメージがあったのだ。
「学生が何か取りにでも来たかと思ったよ、ごめんごめん」
そんなのには慣れているらしく、林原は、こちらこそお邪魔を、と返して駿紀たちを紹介する。
「こちら、警視庁の刑事さんで隆南さんです。神宮司はご存知でしたっけ」
「うん、ウワサは聞いてるよ。察するに結果をとっとと説明した方が良さそうだね」
林原が刑事たちを供って来た意図を正確に理解したらしく、相原は駿紀たちの挨拶を待たず、苦笑気味に紙の束と何やらを持ってくる。
「質問されてた件については、何らかの破片と判断出来る粒子は検出されなかった」
きっぱりと言い切った顔は研究者のモノだ。
「ただし、何も出て来なかったというのも正しくない。繊維状の物質をいくつか検出したよ。回収物はコレだ」
差し出してきた小ぶりのシャーレの中には、ドス黒く変色した何かが入っている。
「この手の解析はウチより得意がいるから、そっちに依頼した方がいいと思うが、判断はまかせるよ」
「ありがとうございます。実はもう、別口で回収分を解析していただいてるとこなんです」
「へえ、岡田教授も林原に頼まれると断れないんだな」
相原は楽しそうに笑い声を上げてから、紙の束の方を出してくる。
「解析結果のレポートだ。実験記録もつけてあるから」
受け取り中身を確認してから、林原は透弥へと手渡す。
「これで大丈夫そう?」
切れ長の視線が、素早く動く。
「ああ」
返して、視線を上げる。
「御協カ感謝します」
透弥と一緒に駿紀も頭を下げると、相原は軽く手を振る。
「いや、なかなか興味深かったよ。血液というのは、かなり特異だね。次回までには、もっとスムーズに解析出来るようにしておくよ」
笑みを含んでいた顔が急に真面目な顔になったかと思うと、付け加えられる。
「その為にも、人手が欲しいんだけど」
「俺はお願いばかりでお手伝いは出来ませんが、実験運のイイ子が入ってくるよう祈っておきますよ」
林原は笑顔で返すと、手にしたシャーレを持ち上げる。
「では早速、検出物を役立てさせていただきます」
相原は参った、というように相好を崩す。
「役立てるようなら、またおいで。君らのやろうとしているコトは、思っていた以上に面白い」
「ありがとうございます」
頭を下げ、相原の研究室を後にする。
「次はこっちだよ」
手にシャーレを持ったまま、林原は機嫌良さそうに歩いていく。
「繊維に詳しい方だっけ?」
先日、扇谷が被害者の傷口から見つけ出した繊維を手に、透弥たちがそのようなことを言っていた、と駿紀は訊ねる。
「そう、岡田教授ね。化学繊維の合成屋だから、必然的に解析も詳しいんだよ」
言いながら、扉の前で足を止める。
有機化学第2研究室とある、ここが岡田の居室であるらしい。相原のところと同じく、所属者の行き先を示した小さな黒板が用意されている。
が、それを目にした林原は、珍しく唇を尖らせる。
「マズいなあ、実験中だ亅
確かに、岡田の名の隣は赤字で実験中とある。邪魔を嫌うのだろうと駿紀は納得するが、透弥はつ、と隣のミミズばった文字を指す。
「Hを除く、だから構わない」
「ああ、相変わらず悪筆だなあ」
どう見てもリスティア語でも共通語でもないソレは、駿紀にはどこの国のものかはわからないが、林原は除く、という意味らしい。
林原は、軽くノックして、返事を待たずに扉を開ける。
「林原です、こんにちは」
何やら複雑に組まれたガラス器具の向こうから、声が返ってくる。
「待ってたよ」
にょっきりと伸びた手が、手招く。
早足にそちらへと回ってみると、扇谷と同年代とおぼしき外見の白衣の男が、顕微鏡の前に陣取っている。気配で振り返った視線は、子供のようなきらめきだ。
「おう、神宮司くんも来たのか、ちょうど良かった。ここだけの話だが」
と、少しだけ声を小さくして、とある企業の名を上げる。
「……の関係者が関わっているだろう?」
「なぜ、そうお考えに?」
表情を変えずにいるのが精一杯だった駿紀の隣で、透弥は涼しい顔で尋ね返す。
「根拠は、コレだ」
岡田は、先ほどまで覗き込んでいたらしい顕微鏡を指す。
示されるままに透弥と林原が順に覗き、どうぞ、と示されて駿紀も覗いてみる。
「目元の黒いの回すと、自分の焦点に合わせられるから」
林原の助言に従ってつまみを回してみると、なにやら周囲が歯車のようにギザギザとした物体が、鎮座しているようだ。
「ええと、コレは?」
「先日預かった繊維の、断面図だよ」
駿紀が詳しくないと察しをつけたらしく、岡田が注釈してくれる。
「もっと正確に言えば、預かった繊維をほぐして中の一本を取り出し、切断して断面を観察している。繊維というのは、ごくごく細い糸をより合わせた物なわけだが、その最小単位だね。こういった形状は人為の産物、すなわち合成繊維だということが明らかだ」
なるほど、と駿紀が頷き返すのを待って、岡田は続ける。
「だが、私の手元にある、現在『Aqua』で製造されている繊維を網羅したサンプル帳の中には、この繊維は含まれていない」
「え?!」
「ほう」
思わず目を丸くする駿紀の隣で、林原は目を輝かせる。
「既成に類似品が存在するはずです」
無表情のまま、透弥にきっぱりと言い切られて岡田は唇を尖らせる。
「たまには私にも名探偵の気分を味わわせてくれよ」
少しすねた口調だが、本気で機嫌を損ねたわけでは無いらしく、あっさりと続ける。
「ずっと見ていれば、各社の開発傾向も自ずとわかるからね。ほら、このあたりの改良品だろう」
と、あらかじめチェックしていたらしいファイルのページを開いてみせてくれる。
「この形状での特許もあるから、他社ではあり得ない」
「ですが、それだけでガチガチ司法畑の方々が納得しますかねぇ」
林原が首を傾げてみせると、岡田も腕を組む。
「弱いな。成分分析出来れば精度が上がるが、もらっただけじゃサンプル量が少なすぎるよ」
林原が、すかさずシャーレを差し出す。
「それでしたら、相原教授がこんなん採取して下さいましたけど」
その中身に、岡田は苦笑する。
「分取結果がコレじゃ、がっかりしたろうね」
「いえいえ、血液の解析について興味を抱いていただけたようで」
「ほう、確かに興味深い点ではあるね。さて、こちらも同一のサンプルであれば、最低限の確認は可能だ、やってみよう」
シャーレを手にした顔は、頼もしい研究者だ。
「お待ちしています。それと、断面の顕微鏡写真をいただけますか?」
そう言われることは予測済みであったようで、今回のモノだけでなく比較参照用も必要な特許のコピーも用意済みだ。
主題が終わったところで、というように岡田は駿紀へと向き直る。
「ところで、初めてお会いするけど、君はどこの出?」
「アルシナドです」
「いやいや」
苦笑気味に手を振られて、駿紀は瞬きをする。
「岡田教授、隆南さんは生粋の警察官ですよ」
林原のフォローで最終学府のことを訊ねられていたのだと気付いて、頷く。
「はい、最終学府には行ってないんです。わかりやすく説明していただいてありがとうございました」
「おや、普通の刑事さんなのか。珍しいね、学者の言うことなんぞ聞きたくも無いって人が多いのに」
木崎を始めとする一課の刑事たちを身近に知っている駿紀には、岡田の叩き上げの刑事への印象はよくわかる。
「何か失礼があったのでしたら、お詫びします。それから、科学というだけで尻ごみしがちなところは大目にみていただけると助かります」
「ああ、そういう意味のつもりじゃなかったんだけど。言葉足らずでいけないね」
岡田は、にっこりと微笑む。
「隆南さんみたいにアレルギー起こさずに興味を示してくれるとコチラもやりがいが出るってもんでね。こちらの変わり者が理解するのは当然だから」
「教授、教え子捕まえて変わり者はやめて下さいよ」
「恩師の誘いを蹴っといて生意気な」
むしろ面白がっている口調で岡田は唇を尖らせる林原に返し、さらりと付け加える。
「そのうち、俺の研究室の出のがやってのけたと自慢させてくれるんだろうな」
「もちろんですよ。ですから、ご助力よろしくお願いします」
にこやかに頷く林原に、岡田も笑顔のまま返す。
「楽しみにしてるよ」
次の解析結果がいつ頃かなどを確認してから岡田の研究室を辞す。
工学部の建物を出たところで、林原が最初に指してた方を、もう一度指す。
「こっちからでも行けるし、せっかくなら古臭い方でも横目にどう?」
滅多に来るような場所ではないので、駿紀が素直に頷いたころで、声がかかる。
「よう」
ちょうど向かおうとした方から現れた男は、親しげに手を上げる。

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