□ 見霽かす □ illumination-12 □
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あまりの蒼白さに、思わず立ち上がったのは山尾だ。
「おい、松江、大丈夫か」
しかし、伸ばされた手を、なぜか松江は振り払うように体をひねる。そして、山尾と竹部を、血走った目で交互に見やる。
手を振り払われた山尾は、戸惑ったような視線を返す。
ぱくぱくと、何回か空回りしてから、やっと松江は声を絞り出す。
「いつ、知ったんだ?誰から聞いた?」
瞬間、空気が凍る。
「何を?」
ややの間の後、山尾が乾いた声で返すが、竹部の手は再び握りしめられている。
「松江も知ってたのかよ?!」
先ほどより数段低い声で言ったかと思うと、松江へと飛びかかる。が、すんでのところで、ぴたりと止まる。
最小限の力で動きを封じた透弥は、平坦に言う。
「暴力はいただけませんね」
が、竹部は精一杯に身を乗り出して怒鳴る。
「知ってて、黙ってたのかよ?!」
激高はしていないものの、山尾も険しい顔つきで松江を見つめている。
松江は、何か返そうとして口をつぐむ。
そんな反応に、竹部が更に怒鳴ろうとしたところで、駿紀が口を挟む。
「皆さん、日浦さんが亡くなる前に、彼の借金の件を植竹さんが知っていたことを、ご存知だったんですね」
透弥のような冷徹さのある声ではなく、日常会話と変わらない駿紀の声は、むしろ不気味に響く。
三人の視線が、駿紀へと向けられる。
「日浦さんが仏像モドキを大事にされてたのを植竹さんが知っていたとことを、なぜご存知なのかもお聞かせ願えますか?」
「日浦のところに、線香をあげに行った時に」
ぼそり、と言ったのは竹部だ。
「命日とか、きっちりとはいかないんですけど、たまに都合が合った時に伺うんです。で、こないだ行った時にご両親が写真が出てきたって見せてくれて」
視線が、どこか虚ろなのはその時のことを思い出しているからだろう。
「本当に、びっくりしました。だって、植竹が人一倍大事にしてるのが、日浦と一緒に写ってるんですから。ガラクタ集めは日浦への手向けだとは思ってたけど、まさか、それが」
語尾が震えたのが自分でもわかったのか、一度口をつぐむ。
「正直、飲み込めなくて、それで」
さらにそこまで言って、自分が何を言おうとしてるのかを、やっと悟ったらしい。
開きかかった口をそのまま、呆然と視線を上げる。駿紀は、穏やかに返す。
「それで、どうなさったんでしょう?」
「……植竹に直接聞きましたよ、もちろん」
視線が逸れる。
「それは、いつ頃ですか?」
「……一週間前だったかな」
抑揚の無い声。隠し事の出来ないタチだというのに、ご苦労様なことだと駿紀は内心で苦笑しつつ問いを重ねようと口を開きかかる。
「ウソだ」
ぼそり、と脇から言ったのは、松江だ。
「何が」
竹部が、キッとした視線を上げる。が、松江はまっすぐに受けとめる。
「それなら、植竹は五日前に相談したいなんて言わない」
きっぱりと返してから、血の気が引いたままの顔を駿紀たちへと向ける。
「刑事さん、もう、わかってらっしゃるんでしょう?針のムシロみたいなのは、止めにしませんか?」
いくらか困った表情で駿紀は首を傾げる。
思うところがあるのは事実だ。岡田教授の証拠解析で、ほぼ特定済みでもある。
正直なところ、もう少し自分たちでしゃべってもらいたかったが、そろそろ潮時だろう。そして、この程度の情報で後を引き取れるのは、駿紀ではない。
視線を受ける前に、透弥が静かに口を開く。
「日浦さんのご遺族から、仏像モドキの件を聞いた竹部さんは動揺されたでしょうが、植竹さんが先にわかっていたと決めつけてしまっている可能性だってある、と考えるだけの分別もありました」
半ば、見てきたかのように話すことが出来るのは今まで得たデータがあるからだが、ここまで具体的な構築は、即興では駿紀には出来ない。
「相談する、となると選ぶのは話し易い相手でしょう。竹部さんにとっては、その相手とは山尾さんでした」
どうして言い切れる、という質問は出ない。消去法で簡単にわかることだからというより、話がどう進むのかに注意が行っているからだろう。
「山尾さんは、植竹さんに直接訊くしかない、という結論を下しました。そして、会う約束をした。訪れたのは約束より早い日程でした。理由は忙しい仕事の都合がついたからなのか、約束より早く訪れることで何らかの構えを作らせるのを防いだのかはわかりません。唯一はっきりしているのは、質問を間違えた、ということです」
先ほどから、竹部の視線は気の毒なくらいに揺れている。が、山尾はじっと透弥を見つめるばかりだ。それを見ているのかいないのか、いつもからは想像もつかない芝居がかった言葉は続く。
「山尾さんは、植竹さんに、日浦氏が自殺を選ぶ前に借金のことを知っていたのではないか、と尋ねました」
「それが間違ってるってなら、なんて言えば良かったってんですか?」
「わかりませんか?」
つっけんどんに問いかけた竹部は、透弥は冷えた笑みに気圧されたように口をつぐむ。
「正しい問いをすれば返ってきたはずの答えは、返ってこなかった。日浦氏を死に追いやったと頭に血を上らせた山尾さんは、たまたま背を向けた植竹さんの後頭部を何かで殴りつけました。何であったかはともかく、植竹さんを死に追いやるに充分なモノだったことだけは確かです」
己が犯人だと指摘されているにも関わらず、山尾は表情を動かさない。
「友人である人間を手にかけたことで、興奮が頂点に達した山尾さんは、洗面所で鼻血を洗いました。そこで返り血に気付いて、シャワーも使った」
ぴくり、と山尾の指先が動く。
彼は、この場に来て初めて動揺した。駿紀もはっきりと感じる。
「それから、鼻血の痕跡だけはふき取りました。落ちた血液を踏みつけて足跡でも残ったのでしょう。いささか中途半端になったのは会社に戻らねばならない時間が迫っていたからかもしれませんが、そうでなかったとしても、特殊な繊維を残してきたことに気付くことは無かったでしょうね」
「繊維?」
「どんなモノかは、貴方が最も良くご存知でしょう」
そこで言葉を切り、透弥は正面から山尾を見つめる。
山尾は血の気が引いた顔ながら、皮肉に口の端を歪める。
「それで?」
「会社に戻る途中か、一度戻ってから抜け出したのか、公衆電話から竹部さんに連絡をしました」
問われたことはそうでないとわかっていて、透弥はさらりと言ってのける。
いくらか身じろぎをして、山尾は透弥へと鋭い視線を向ける。
「正しい質問が提示されてませんよ」
「当日はともかく、今でもわかりませんか?」
透弥の口調は、先ほどまでの芝居がかったものから、いつもの冷静なものに戻る。冷ややかな声は、人によってはバカにされてるように聞こえるに違いない。
山尾にもそう聞こえたのだろう、不愉快そうに眉が寄る。
「残念ながら」
透弥は、それでは仕方が無い、とでも言いたげに軽く肩をすくめる。
「正解は、なぜ仏像モドキが日浦氏の宝物だったと知っているのか、です。日浦さんが借金の相談をしただけなら、植竹さんは仏像モドキのことなど知る由も無いんですよ。借金でどうにもならないから助けて欲しい、とだけ言えば済むのですから。仏像モドキは借金のネタとして買わされたものです。日常会話で大事なものだと言い出すことは考え難い」
血の気の引いた顔から、困惑顔になったのは竹部だ。
「待って下さい、だとしたら。だとしたら、なんで」
「そうですね、先ほど竹部さんが少々乱暴に問いかけた通りの疑問が残ります。なぜ、松江さんは仏像モドキが日浦さんの宝物であることをご存知なのか?」
ここまで話が進んでしまって、もう黙っているわけにはいかない段階に来た、と松江は覚悟を決めたようだ。山尾と竹部に向き合うように、立ち上がる。
「日浦は、確かに植竹に借金の相談に行った。でも、あいつは間違った。刑事さんが言うとおり、ただ、本当に困ってる、このままでは死ぬしかないと言えば良かったのに……」
初めて、山尾の顔に不安が宿る。
「なのに?」
問い返す声が、微かに震えている。
「よりにもよって、仏像モドキもってって、それを担保に貸してくれって言ったんだ」
絶望的な、沈黙。
植竹一太郎と近い感覚であるからこそ、その後の状況は松江が口にしなくてもわかるのだろう。ここまで調べを進めてきた駿紀たちにも、容易に想像がつく。
友人としての関係を金で汚したくない、というのが口癖だった植竹にとって、日浦の提案は最も許しがたいモノだった。
それが口火だったとしたら、その時点で話は破綻しただろう。五人の中では最も落ち着いた男が激昂するのだから、それはすさまじく映ったに違いない。
山尾と竹部は、血の気の引いた顔で松江を見つめる。
「日浦が、何を間違ったのか気付いたのは手遅れの状態になってからだった」
見つめ返す松江の顔も、同じくらいに血の気が引いている。
「それでも、植竹に直接連絡する勇気は出なかったんだろうな。ろれつの回らない口調で電話がかかってきた時は驚いた。何度も謝ってるのを聞いたときには、もっと」
唇を、強く噛みしめる。
「あと、一日踏みとどまってくれてりゃ、植竹はきっちりと返済計画を準備して連絡してたんだ。二度と付け入られる隙なんて無いようにして。でも、言えるわけ無いだろ。死んじまった日浦をわざわざ貶めるようなこと、植竹がするわけないだろうが。今になったって、あいつは言うのをためらったんだ」
松江の搾り出すような声に、竹部は頭を抱え込む。
ややの間の後。
はは、と乾いた笑いが山尾の口から漏れる。
どこか空虚な視線が駿紀たちへと向けられる。
「刑事さん、私が植竹を殺しました。言い訳なんて何一つ出来ない、酷い思い込みで、友人を……」
まだ、血がついているかのように手を見つめる。
「俺は……」
それ以上は言葉にならず、視線も肩も落ちる。
「竹部さん」
駿紀の静かな声に、頭を抱え込んだままの竹部の肩が大きく揺れる。
「……殴った後のは、まだ潰しきらずに残ってます」
かろうじて聞き取れるほどのかすれた声は、だがはっきりと凶器隠匿を告白する。
「どうして!」
松江の拳を受け止めた机が、ひどい悲鳴を上げる。
「どうして、いつも俺のところに来るのが一日遅いんだよ……」
耐えきれなくなったように、竹部が嗚えつし始める。
山尾も、力無く一点を見つめるばかりだ。
やるせない気分で目を逸らした駿紀は、扉の隙間向こうの永井と視線が合う。
彼も、酷くやるせない目をしていた。

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