□ 霧の音待ち □ glim-5 □
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-11月07日 18時34分
葉山は、特別捜査課に透弥しかいないのに気付くと、出直そう、ときびすを返そうとする。
「私が、お伺いします」
冷静な声に振り返った葉山は、透弥のまっすぐな視線に気圧されたように、素直に腰を下ろす。
「組織の拠点がわかった」
告げてきた場所は、Le ciel noirが情報としてもらたしてきたのと同じ、繁華街の雑居ビルだ。
「入居している人間の多数が、メルティを常習していると考えて良さそうだ」
苦々しげに言う葉山に、透弥は口元に冷えた笑みを浮かべて返す。
「コバエも一挙にはらえます」
「その点に異議は無いが、それだけ汚染された人間がいるというコトでもあるからな」
自分たちが二度も失敗したことが、中毒者を増やしていると感じているのだろう。
「早いにこしたことはありませんが、焦りすぎも禁物かと」
「残念ながら、そうも言っていられない。ここ数日中に、また次の拠点に移るらしい」
透弥は、軽く眉を寄せる。
「それは、ありがたくは無い情報ですね。どなたが?」
「松倉、浜村もだ、今回の件では、随分と頑張ってるよ」
「なるほど、さすが葉山班ですね」
爽やかな笑みと共に言われ、葉山も悪い気はしなかったのだろう、いくらか表情を緩めかかるが、すぐに引き締める。
「もう失敗は許されないと、皆わかっているからな」
言葉を、そこで切る。
土地勘のある場所に拠点があれば、協力出来るかもしれない、と透弥たちは告げた。だから、葉山は場所を伝えに来た。
透弥が、返事を返す番だ。
いつもの無表情に戻った透弥は、まっすぐに葉山を見つめる。
「ここでしたら、隆南も私も良く知った場所です。ご協力します」
葉山の目が、軽く見開かれる。
ややの間の後、深く頭を下げる。
「ありがたい、頼む」
「お礼は早いです」
冷たいくらいな口調で告げてから、透弥は視線を動かさずに続ける。
「どう動くか、腹づもりはありますか?」
「せっかく場所が判明したんだ、移動される前に抑えたいが」
いきなり突入するにしても、令状は必要だ、などと言っているうちに情報提供者から漏れてしまう。コトは、そう簡単ではないと判断しているのだろう。
身を乗り出して、逆に尋ねてくる。
「特別捜査課では、どう考えている?」
「もう一度、潜入を」
今度こそ、葉山の目は本当に丸くなる。
すでに二度、肝心の連中を取り逃がしたことも、葉山班に情報提供者がいることも透弥たちは知っている。なのに、なぜ、という表情から、何かを期待するモノへと変化する。
「何か、勝算があるのか?」
「勝算と言えるほどのモノではありません。二度出し抜いた相手が同じ手段しか取ってこないと判断すれば、どんなに気を引き締めているつもりでも、どこかナメてかかってくると考えているだけです」
「一理はあるが……」
相談した手前、頷きはしたが、葉山の顔には残念そうな色が浮かぶ。それを見て見ぬふりで、透弥は続ける。
「ただ繰り返すだけでは芸がありませんから、ウチの隆南が潜入します」
ぽかん、と葉山の口が開く。
何か言おうとしたが、とっさに言葉にならなかったらしい。二、三度、ぱくぱくと空回りしてから、勢いよく首を横に振る。
「駄目だ。誰だろうが、それは賛成出来ない」
き、と眉を吊り上げ、身を乗り出す。
「潜入はこちらが刑事と知られずに行動出来るという勝算があったから出来たことだ。二度目も、まだ可能性はあった。何が起こるかわかっていて、みすみすヤクの危険にさらせるわけがない。君たちのところだろうが、ウチだろうが、同じコトだ。絶対に賛成出来ない」
一気に言い切った葉山は、更に言葉を継ごうとする。が、その前に表情を動かさないまま、透弥が口を挟む。
「愚かとしか言いようの無い真似をしなくては、相手は油断してくれません。ただし、四度目は絶対にありません」
声が大きくなったわけでも、口調が強くなったわけでもない。だが、飲まれたように葉山は口をつぐむ。
「今回で、全員抑えます。絶対、という覚悟を決めて下さい」
「神宮司くん」
「内部に情報提供者がいると、すでに外部の課に漏れています。見過ごすわけにはいかないと、わかっていらっしゃるでしょう。どう動くにせよ、最後のチャンスです」
ためらいを残す葉山へと、容赦なく最後通牒を突き付ける。
葉山は、一瞬、まぶたを落とす。
再度、透弥を見つめ返した時には、覚悟を決めた瞳だ。
「わかった。君たちに協力要請したのは私だ。意見に従おう」
ぴしり、と姿勢を正す。
「突入日は早めに、可能なら今日明日中にする」
「のこのこと潜入してきた人間がいると思わせる必要がありますから、どんなに早くとも明後日以降です」
「では、明後日0時だ」
これ以上は譲らない、と葉山の目と声が言う。まだ、可能なら反対したい色が見えるのを、透弥はあえて無視する。
「わかりました、隆南に伝えます」
「突入時には」
「もちろん、私も参加します。配置などは、後刻詳細な打ち合わせがあるのでしょうから、その時に」
突入時には人数が必要なことはわかっているから、葉山はしっかりと頷き返す。
「承知した」
「それから、私との顔合わせは明日にして下さい」
「それは構わないが?」
意図を読みかねた表情の葉山へと、透弥は表情の無い顔を向ける。
「ですが、今日のうちに他課に協力要請したことは開示しておいて下さい」
返事の前に、葉山の目が見開かれる。
「どこの課であるかは教えずに、です。明日、紹介すると言っていただければ十分でしょう」
透弥の表情は、動かない。
代わりに、葉山の表情がいくらか歪められる。
「通じる、と思っているのか?」
「間違いなく伝わります。あやふやであればあるほどに」
「だが」
言葉を重ねようとした続きは、容易に想像が出来る。
もうすでに、ここにいない一人は潜入している、もしくは準備に入っているのではないか。
あたらずとも遠からず、だ。
潜入者の情報と、実際の潜入はあるいは近い時間になるはずだ。
が、メルティの組織に通じている人間を通じて、組織に少しでも焦りを生んでおきたい。
「隆南は、その程度のあやふやな情報で相手方に落ちるほど、鈍い人間ではありません」
きっぱりと言い切った透弥に、これ以上の反論は意味が無い、と葉山も判断したのだろう、一呼吸してから平静な表情へと戻る。
「明日は8時過ぎに打ち合わせを持とうと思う。こちらに寄ろう」
「お待ちしています」
深く頭を下げてから、葉山は特別捜査課を後にする。
扉が完全に閉まったのを確認してから、透弥は深く息を吐く。
どれほど愚かな真似をしようとしているのか、人に言われずともわかっている。だが、少人数で確実にいこうとするなら、今はこれしかない。
仕方ないという言葉で片付けられるようなコトでも無い。
失敗が許されないのは、葉山だけでは無い。
他ならぬ、透弥自身が。
絶対に、成功するしか無い。



-11月07日 19時17分
天宮家に入った連絡は、突入は明後日零時、というモノだった。
黒木が、に、と口の端を持ち上げる。
「これはまた、随分と性急にケリをつけるんだね」
「早いにこしたことは無いですから」
駿紀も、笑みを返す。
「今日のところはこれで解散か。もう少しのんびりしたかったけど、仕方ないな」
どこまで本気かわからない口調で言ってのけると、黒木は立ち上がって伸びをする。
駿紀も立ち上がる。用件が済んだなら、いつまで長居しているわけにはいかない。
「そのうち、ウチにも遊びに来てよ」
「口説かないと約束していただけるなら」
にこやかに言ってやると、黒木は大げさに肩をすくめてみせる。
「おや、先手を打たれたか」
笑顔で返し、手をひらひらと振ってみせると扉の向こうへと消える。
一緒には出ない方がいいだろうと察して、間を置いてから駿紀も部屋から出る。
「お疲れ様でございます」
珍しい榊の言葉に、駿紀は瞬きする。
「どちらかというと、榊さんの方がではないですか?」
「いえ、黒木様とお二人きりでした隆南様の方が」
さらりと言ってのけ、榊は旧文明産物の通路へと通じる扉を開く。
「いつでも、隆南様と神宮司様は歓迎いたしますよ」
「ありがとうございます」
頭を下げて、歩き出す。
人がいることを感知するのか、いる場所と先が次々と点灯していく通路を歩きながら考える。
突入日時を伝えてきたということは、このまま帰れと透弥は言ってるわけだ。潜入前に、自宅に帰ってしづに顔を見せておけという気遣いもあるだろう。
余計なことを知らないでいるのは、コトの成功の為には必要だ。
だけど。
透弥は嫌な顔をするかもしれないが、一度は戻らなくてはならない。



-11月07日 20時18分
案の定、書類から顔を上げた透弥は眉を寄せる。
「ヒトツ伝え忘れたことがあったのと、ヒトツ頼みごとがあってさ」
何しに来た、と言われる前に駿紀は早口に言う。
軽く片眉を上げてみせたので、駿紀は続ける。
「あのビル付近、本気で土地勘ある場所なんだ。裏口から通じるヤツで、普通は地図に出てない小路がある」
透弥はいくらか目を細めつつ、地図を取り出してくる。
「具体的には、どこだ」
「これとこれの間」
と、駿紀は指差す。
「こう行って、こう入る。で、こっから抜けるんだ。ちょっと複雑な通り方だから、慣れてないヤツはまかれやすい」
「なるほど、死角が多いなら罠をかけやすい」
透弥の口元に、うっすらと笑みが浮かぶ。
この様子なら、この通りから組織の連中を取りこぼすことは無いだろう。
「ここだけは、言っとかないとと思ってさ」
「有用な情報だ。で、頼みというのは?」
「うん」
頷いたものの、少々駿紀はためらう。
言い淀んでいるのに気付いた透弥が、ほんの微かに首を傾げる。
「どうした?」
頼みごとがある、と、もう言ってしまったのだ。逡巡してても仕方が無い、と駿紀は腹をくくる。
「神宮司の、時計見せてくれ」
「時計?」
「ああ、それから9日0時までの秒数教えてくれ」
意味を正確に察した透弥は、ポケットから時計を取り出すと軽くネジを巻く。それから、メモ用紙にいくつか数字を書く。
「20時半から、99000秒」
駿紀が受け取った時計は、20時28分をさしている。先ほど軽くネジを巻いたのは、巻き上がりを半分程度にしたからだとわかっている。
この秒針の速度を覚えておけば、9日の日付変更線がいつ来るか、駿紀にはわかる。
もちろん、平常ならば、だが。
何秒か目で追い、瞼を閉ざして数秒数えて時計を見直す。それを、何度か繰り返す。
ついていけているし、感覚も刻めたようだ。
「ありがとう」
返すと、透弥も一度盤面を確認してから、ポケットに戻す。
どちらからともなく、視線が合う。
に、と駿紀は口の端を持ち上げる。
「じゃあ、9日の0時に」
「ああ」
一瞬、透弥の視線が落ちる。が、再度、駿紀を見上げた視線は、まっすぐだ。
「必ず」
静かに、だが、きっぱりと言い切った言葉に、駿紀は深く頷き返す。



-11月08日 01時06分
まだ眠らない繁華街にふさわしい喧騒の中に、スーツ姿の男が紛れる。
その店のオーナーらしき男が、何気ない様子で男へと近付く。
「いつもありがとうございます、こちらへどうぞ」
上得意風の案内をされたスーツの男が、奥まった死角ともいえる席へと腰を下ろすと同時に、ビールが運ばれてくる。
オーナーに当たり前のように酌をされながら、男は低く言う。
「また、紛れてくる。というか、もう紛れたかもしれない」
「しれない、とは心もとないですね」
「他課のヤツなんだ。移動先を探り出すのが目的らしい」
オーナーの口元に、うっすらと笑みが浮かぶ。
「逮捕ではないんですか」
「前のことがあるから、慎重になってるんだ」
「なるほど、それは賢いことです」
これには、男は返す言葉が無かったらしく、無言のままグラスを傾ける。オーナーは、その空いたグラスにさらに注ぎつつ、にこやかに続ける。
「桜ノ門の方々とは良い関係を築きたいものです」
「それだが、そろそろ」
「わかっております。今回の件が無事に済めば、ブルーのルートをお教えいたしますよ」
いくらか疑わしそうに目を細める男へと、オーナーは笑みを深める。
「私どもも、競争相手は少ない方がようございます」
「だったら、もうヒトツは必要だ。これで三回なのだから」
「ようございます。ご用意いたしましょう」
あっさりとオーナーは引き受ける。
「先ほども申し上げました通り、Le ciel noirの如く桜ノ門の方々とは良い関係を結びたいですからね」
「ああ」
なんとなく落ち着かない顔つきで言ってから、男は腰を浮かせる。
「じゃあ、そろそろ行く」
「お送りいたします」
男の姿は、繁華街の雑踏の中へと消えていく。



-11月08日 02時31分
黒いスーツの男が、昼間からは想像の出来ないような暗い笑みを浮かべる。
「ウチと並びたい?なかなか楽しいことを言ってくれるね」
ほとんど声にならない笑いは、最近とみに深まってきた晩秋の気温とあいまって、聞き慣れた者の背中でさえ、ぞくり、とさせる。
「そうだね、かゆいところまで手が届くお手伝いのつもりだったけれど」
続く言葉は容易に想像出来て、報告者は姿勢を正す。
「お邪魔にならない限り、とことんまでヤッてやりなさい。勘違いを正す必要は無いが、不必要にウチの名を出したことは後悔してもらわねばね」
言うと、つい、と指を動かす。
行け、という意味を正確に取った報告者は、命令は了解したの意も込めて深く頭を下げる。
黒木は、窓へと身を翻して夜空を見上げる。
その口元には、相変わらずの暗い笑みだ。
「ホント、下衆に限ってバカなことを考えるな。まあ、もう逃げ場も無いけど」
報告者もうっすらと笑みを浮かべると、扉の向こうへと姿を消す。



-11月08日 05時24分
駿紀にとって、何気なく潜入先に潜り込むのは得意な方だ。
事件のケリがついてなお、刑事だと気付かれなかったこともある。騙そうと気負っていないのがいい、などと先輩には言われたことがあるが、今回はどうなのだろう。
ひとまず、今のところ、こうして歩き回っていても怪しまれてはいないようだ。
雑居ビルを装っているこのビルには、実際、様々な店舗が入居している。ざっと回ってみたが、メルティ常習以外の共通点は無いようだ。
皆、他の店の関係者だろうくらいにしか、駿紀のことを思っていないのだろう。
おかげで、夜から紛れ込んでから今までの間に、少なくとも、表面上ビルに入居している店は把握出来た。
ただし、そろそろ下手な動きは止めた方がいい時間だ。
窓がほとんどないビル内では、夜明けの気配を感じることは難しい。が、人の気配がほとんど無くなっている。
夜明けまでの商売のほとんども終わり、後始末も完了した時間帯だろう。
66925、66924、66923……
数も、およそそんなあたりだ。
ちょうど見つけた壁掛け時計の秒針の動きからして、ペースは崩れいていない。
そろそろ、大人しくした方がいい、とはわかっている。
いくら、最終的にアチラの手に落ちるコトになるのだとしても、可能な限り発見されるのが遅いのがいいに決まっているのだから。
だが、これだけ自由に動き回れるなら、もう少し、とも思ってしまう。
出来ることならメルティを合成してる場所くらいは抑えたい。あわよくば、合成されたばかりのメルティを入手出来るかもしれない。
どうするか。
あと、少しだけ。
足を踏み出そうとした、瞬間。
背後の気配に、駿紀は動きを止める。

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