□ 霧の音待ち □ glim-6 □
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変に物影に身を隠さない方がいいが、下手に堂々としている訳にもいかない。
迷ったふりでもするしかない、と腹をくくって、駿紀は振り返る。
視線が合ったのは、黒づくめの男だ。
おや、というように片眉をあげてから、口元に薄く笑みを浮かべる。
「お会い出来て良かった、私もあまりこの格好でいるわけにもいきませんのでね」
服装の時点で、おおよその察しはついていたが、発した言葉で確信する。どこかに紛れてるとは思っていたLe ciel noirの一員だ。
罠ではない、と勘が告げる。
どこが、と言われても困る、いつものヤツだ。
が、にしても、だ。
「随分とまた、サービス旺盛というか」
「コチラにはコチラの都合と事情があります。ですが、貴方には必要以上の情報は入れるな、とご友人の伝言もございますので、今はこれだけ」
つ、と手を伸ばす。
「寝床が必要でしょう?ご案内します」
動くべき時間では無い、と暗に告げられたようなものだ。
「それは、助かります」
駿紀は、大人しくついていくことにする。



-11月08日 08時13分
集まった葉山班の面々は、いくらか緊張した顔つきだ。
他課に協力を求めた、と衝撃的な事実を告げられた昨晩、葉山は「自分たちとは別の探り出し方が得意らしい」としか言わなかった。何処とも、誰とも言おうとしなかった。
意味するところは、おおよそ察しがつく。
実のところ、二度の潜入捜査失敗で、疑心暗鬼が無い訳ではない。
誰かが、情報を漏らしているのではないか。
今までの成功と、メルティの組織相手のみでの二度の失敗。
落差は、あまりにも解せない。
もしかしたら、この中の、誰かが。
前回、前々回の潜入者である船戸と須川は、微かに不安な視線を走らせる。
浜村、松倉、今村の三人も、居心地が悪そうに身じろぎをする。
葉山は、どこか無表情に五人を見やるばかりだ。
軽く、ノックの音が響く。
「入ってくれ」
声に応じて現れたのは、黒に近いダークスーツに身を包んだ透弥だ。
「おはようございます」
どこか凍てついたような声と視線に、葉山の部下たちは返す言葉が見つからない顔つきで、見つめ返している。
立ちあがった葉山が、ゆっくりと五人を見回していく。
「今回の件にご協力下さることになった特別捜査課の、神宮司警視だ」
薬物担当である葉山班でも、特別捜査課の名は知っている。木崎班と勅使班の生え抜き二人が膠着状態の事件を次々に片付けているというのは、最近、本庁内のもっぱらの噂だ。
もっとも、木崎が敵視していて、勅使は贔屓にしているらしいというコトも、下世話な興味で知られているが。
その特別捜査課に協力を依頼した、ということは、だ。
最後の手段に訴えた、と言ってるも同然だ。
しかも、葉山は透弥を階級付きで紹介した。
この年齢で警視となるのは、キャリアしかいない。通常なら、現場慣れしていない歯牙にかける必要のない存在という意味だが、今は違う。うっかりと逆らえば、この先の自分の未来が閉ざされる可能性があるというコトだ。
透弥にその意思があるかどうかでなく、葉山の狙いはそこにある。
それを知ってか知らずか、透弥は無表情なまま、ファイルを机上へと置いて頭を軽く下げる。
「よろしくお願いいたします」
丁寧な口調と物腰が、返って距離を感じさせる。
「葉山さんとは、すでに相談させていただきましたが」
もう一人のことを全く口にせず、透弥は一方的な口調で告げる。
「10日午前0時、メルティ合成拠点に強制捜査に踏み込みます」
「な?!」
「えっ」
思わず、という顔つきで浜村と須川が声をあげる。他の三人も、似たり寄ったりの顔つきだ。
最初に我に返ったのは、船戸だ。
「確かに、現在の拠点は判明してるが」
言いかかるが、そこで言葉は途切れる。いくらかためらってから、須川が引き取る。
「また、次の拠点に逃げられる可能性は?」
「ありません」
静かに、だが、きっぱりと透弥は返す。
松倉が、むっとした顔つきで身を乗り出す。
「ですが、移動のあてがあるという情報が入っている」
「どうして、言い切れる?」
浜村も、厳しい視線だ。いくらか複雑な表情のまま、五人を見つめていた葉山が、軽く手を上げる。
「すでに、独自に捜査を始めてもらっている」
嘘ではない。透弥たちは、葉山の依頼を引き受ける前に自分たちの手でどうにかなる件かの調査をしたのだから。
透弥の口元に、微かな笑みが浮かぶ。それは、皮肉なものでしかない。
机上に置いたファイルを、どこかもったいをつけた手つきで触れる。
「それなりの情報をお知らせすることが可能です」
五人、いや葉山を含めた六人の視線が、ファイルへと集中する。
「これから、私たちの捜査結果をご説明しますが、その間はこの部屋を出ないで下さい」
言外に含まれる意味は、痛烈だ。
葉山班の誰かが、裏切り者であると特別捜査課は確信している、と告げられたも同然。
返す言葉が無いままに、ただ、六人ともが透弥を見つめる。
「先ず、現在の拠点ですが、ビル内に出入りしている者は一般客を除いてメルティ常習者です」
「その程度なら」
こちらだってわかっている、と言いかかった船戸の言葉は、そこで途切れる。透弥に向けられた視線が、あまりに冷徹だったからだ。
「そして、彼らに移動先はありません。あの拠点が最後の砦です」
さすがに、松倉があからさまに不機嫌になる。
「次はあるはずだ」
「その情報はフェイクです」
相手の感情など、無かったかのように透弥は平坦に返してから、にこり、と、たいていの女性が心揺らすような笑みを浮かべる。
「二度の潜入は、けして無駄ではありません。ヤツらは追いつめられています」
船戸と須川が、思わず顔を見合わせる。
相手の手に落ちただけでなく、肝心なモノは何も得られなかった。かつてない葉山班の黒星と言われ続けてきたことが、無駄ではないと言い切ったのは透弥が初めてだ。
「さすがに、アチラも焦りを見せたら付け込まれるくらいなことは、わかっているようですが」
柔らかな笑みは、凍てついたそれへと変化する。
「特別捜査課が協力すると決めたからには、次はありません」
失敗する気など、カケラも無い。
絶対に、メルティの組織は思惑通りの運びで潰してみせる。
こういうカタチで動きだしたからには、絶対だ。
他人が、決意と取ろうが傲慢と取ろうが、関係無い。
必ず、と約束した。
破るつもりは、さらさら無い。
二度目ではあるが、葉山も一瞬、飲まれたような顔つきになる。
「常駐者に関する詳細情報がありますので、捜査令状さえ取得すれば、一網打尽が可能です」
常駐者、すなわちメルティ合成に関わっているか、常用者、もしくはどちらでもある者たちだ。
雑居ビル内に絞ったとしても、そうとう人数が入っている。
「どんな情報が?」
透弥の強気を疑うように、今村が首を傾げる。
「近影と、主にいる箇所、そして現住所とされる場所です」
「まさか、そんな」
思わず口走った松倉へと、透弥は冷えた視線を向ける。
「確認してからおっしゃっていただきたいものです」
広げられたファイルを、無言で見下ろした葉山班の面々は、ページを繰るにつれて驚愕の表情になっていく。
「少し、詳しく見せてもらっても?」
いくらかこわばった声を出したのは、須川だ。
「無論」
透弥のあっさりとした返事に、声と同じようにこわばらせた表情で須川はファイルを手にする。手早くめくっていくが、時折止まる。そして、最後の方で完全に止まる。
せわしなく視線が動き、書かれた詳細を追っているのがわかる。やがて上げた視線は、船戸へと向けられる。
意味を汲み取った船戸も、緊張した顔つきで開かれたページを覗き込む。
「こいつだったか?」
「ああ、間違い無い」
潜入し、一度は相手方の手に落ちた二人が、血の気の引いた顔を葉山へと向ける。
「メルティ合成組織の首領は、コイツです」
と、須川がファイルを向けた後を、船戸が引き取る。
「表立って姿を見せませんが、間違いありません。この情報は正確に内部調査をしてきたものと判断します」
誰もが、透弥を化け物でも見るかのように見やる。
対薬物組織では突出していると言われてきた葉山班が掴み切れなかった情報を、あっさりと提供してみせるとは。
が、とうの透弥は冷徹な表情を微動だにさせない。
「議論すべきは、リストアップされた者を取りこぼし無く抑える方法です」
情報源について、尋ねたところで無駄なのは同業としてわかっている。気を取り直すように唾を飲み込んだ浜村が、一呼吸置いて口を開く。
「それなら、パーティーの噂を流したらどうだろう?メルティの大盤振る舞いがある、といえば」
「早い者勝ちと言えば、我先にと集まるだろう」
葉山も頷く。
透弥が口元にうっすらと笑みを浮かべる。
「浜村さんは、噂を流すキッカケをお持ちですね?」
「ああ、端の端だが、こういうのは末端からの方がよく広がる」
「そういう末端なら、俺にも心当たりが」
松村も軽く手をあげてみせる。
「日程ですが、今日か明日かわからないが、と付け加えた方が効果的です」
透弥が付け加えると、松村と浜村はいくらか驚いたような表情をしてから、頷く。
「確かに」
「わかった」
葉山が、軽く手を打つ。
「よし、では浜村と松倉はパーティーの情報を流してくれ。船戸と須川は、神宮司警視と捜査突入時の配置を考えること。今村は俺と捜査令状取得だ」
「え、ですが?」
いくらか戸惑った顔つきになる今村へ、葉山は有無を言わさずに手招きをする。
「ほら、行くぞ」
「俺らも出ます」
上着を手に、松倉と浜村も早足に動き出す。
今村も、真顔に戻って葉山の後を追う。
外組が出たのを見届けてから、透弥は周辺の地図を広げながら告げる。
「では、突入時の配置について考えましょう」
須川と船戸からの返答が無い。透弥が視線を上げると、二人ともいくらか血の気の引いた顔だ。
「どうかなさいましたか?」
いくらか眉を寄せて訊くと、船戸が唇を微かにわななかせながら口を開く。
「神宮司警視は」
そこまでで、言葉が途切れる。
透弥は、あえて不審そうな表情を深めてやる。
今度は、須川が掠れた声で言う。
「神宮司警視は、俺たちが」
が、やはり、そこで途切れてしまう。透弥は、ゆっくりと須川と船戸、それぞれと視線を合わせてから、軽く肩をすくめる。
「情報を漏らしたと思っているか、という問いの答えでしたら、否、です」
最初に、説明が終わるまでは部屋を出るな、と言ったのに、他の四人をあっさりと出してしまった。
情報提供者は残った二人と言われているようなモノだ。
納得していない顔つきの二人へと、透弥は口の端にだけ浮かべた笑みを向けてやる。
「お二方が考えているようなことを、出た方も思っています。少なくとも、特別捜査課はそう考えている、と」
言外の意味は、考えなくとも察しはつく。
須川が、目を見開く。船戸も、思わずといった様子で皆が出て行った戸口を見る。
「ご存じなんですか?」
「わかりませんでしたか?」
逆に問われて、船戸は慌てた様子で首を横に振る。
「申し訳ないとは思いますが、言わないで下さい。少なくとも、突入が終わるまでは」
視線を戻してきた船戸の真剣な声に、須川も頷く。
「そうですね、当人が馬脚を現さない限りは」
あっさりと透弥が了承したので、二人はほっとしたように息を吐く。
透弥にとって大事なのは、知っているのと知らないのとでは、どちらが効率的に葉山班が動くか、だ。感情的になって本来の動きが出来ないのでは意味が無い。
それどころか、捜査として致命的になりうる。
知らない方がいいと言うなら、それで構わない。
肝心なことは、だ。
透弥はポケットの時計を取りだす。
「突入まで、後15時間14分です。あまり時間がありません」
54840秒、という呟きは内心に留めながら言うと、船戸が眉を寄せる。
「39時間ですよね?」
先ほど、10日零時と告げたはずの透弥は、全く動じず返す。
「いいえ、15時間です」
その簡単な時間差に気付かないほどには、船戸も須川も鈍くは無い。
「明日、突入ですか」
ほんのかすかに、透弥は肩をすくめてみせる。
「15時間と申し上げました。時間がありません」
現在のメルティ合成本拠となっているビル周辺の地図と、ビル内の見取り図を広げる。
船戸と須川も、身を乗り出す。



-11月08日 09時43分
無言で、何か考えるように視線を落としながら歩いていた今村が、葉山へと向き直る。
「葉山さん」
あまりに真剣な今村の声に、葉山は何事かという顔つきで隣を見やる。
「あの、私にもウワサを流す心当たりがあります」
「なんだ、そうだったのか」
葉山は、苦笑を浮かべる。
「それならそうと、先に言えば良かったのに。まあいい、わかった、手続きは俺がしておこう」
「では」
軽く頭を下げ、今村は背を向けて歩き出す。
後ろ姿を見送った葉山は、ポケットに入れてある懐中時計を確認してから、一瞬、まぶたをふさぐ。
が、すぐに、まっすぐに視線を上げ、目前の裁判所へと足を踏み入れる。
受付担当が、誰かに気付いて笑顔をみせる。
「葉山さん、今日は?」
「捜査令状を。申し訳ないが、明日零時に踏み込みたいので、急ぎでお願いしたい」
早口に告げる葉山に、受付担当はいくらか目を丸くする。
「それから、誰かがもし尋ねることがあったら、明後日零時の捜査令状を取っていった、と」
「どちらも承知しました、では、こちらに記入を」
手慣れた調子でペンを走らせながら、葉山は無意識に唇を噛みしめる。



-11月08日 11時58分
黒い影が、そろり、と動いて近くに潜むのを感じる。
「アナタに関する具体的な情報が流れてきました。そろそろ、気付く頃かと」
「了解」
駿紀は頷きながら低く返す。
気配は、すぐに消える。
一時間半ほど前から、店舗への人の出入りとは異なるザワメキがあることには気付いていた。
堂々と警官らしくしている訳ではないが、器用に変装している訳でもない。観察力を鍛えられた刑事が情報提供者なら、かなり具体的に潜入者の特徴が伝えられているだろう。
特別捜査課に協力を求めたコトと、透弥一人が残っているコトから導き出される結論はヒトツしかない。
木崎班の韋駄天という存在は、必要以上に本庁内に知れ渡ってしまっている。
それでも、一時間半見つかっていない理由は、相手がそう派手には動けていないのと、提供された寝床から出てからは、駿紀が刑事然とした探りを入れていないからだろう。
このままイタチごっこでもいいが、それでは警戒態勢がビル全体に敷かれたままになる。
ひとまずネズミはかかったと思ってもらわなければなるまい。
明け方、おおよそアタリをつけていた方へと、動き出す。
荷物が乱雑に積み上げられた細い通路を抜け、足の踏み場のほとんどない階段を降り、しっかりと閉ざされた金属製扉のノブに手をかけた、瞬間。
「オイタはそこまでにしていただきましょうか?」
駿紀の肩に、誰かの手がかかる。
42875、と心で強く呟く。

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