□ 霧の音待ち □ glim-7 □
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-11月08日 12時02分
開いた扉の方へと、透弥だけでなく皆が視線を向ける。
現れた葉山は、よし、というように軽く頷く。
「皆、揃っているな」
「突入時の経路確保確認中です、葉山さん、確認お願いします」
「機動隊への応援依頼は完了しています」
船戸と須川が報告すると、葉山はもう一度頷く。
「ああ、こちらも令状が取れた。予定通りに行ける」
「では、予定通りに今晩24時、明日0時に突入ですね」
平坦な透弥の声に、浜村が眉を寄せる。
「明後日0時でしょう?」
「いや、明日だ」
きっぱりとした返事を返したのは、透弥では無く葉山だ。
まっすぐに、皆を見据える。
「明後日と言ったのは、フェイクだ」
松倉の目が、見開かれる。
「葉山さん、まさか」
「ヤツらは、まだ24時間以上あると油断している。ビルに出入りしている大多数がメルティ提供者、もしくは常習者だ。こぼさず捕えるぞ」
一気に言うと、葉山は、一人一人に視線を合わせていく。
「これで三度目だ。四度目は無い。覚悟を決めろ」
覚悟の意味は、当然、これで失敗したら葉山班の存続自体があり得ないという意味だ。が、それだけでは無い。
「もう、わかっている。これ以上というなら、前に抑えざるを得ない」
どこか悲壮な声に、葉山班の五人はただ見つめ返すばかりだ。
「わかっているんだ、もう、何を言われても意味が無いだろう」
最初は、ほんの些細な情報と、相手方からの情報の交換だったはずだ。が、それは葉山班側には潜入捜査官をヤクにさらすという悲劇的な結果をもたらした。
相手方は、足元を見て言う。
この結果をもたらしたのが、アナタのせいとバレたらどうなるでしょうね?と。
裏切りたかったのではない、むしろ班の為と思ってやったことが、あんな結末となったことが恐ろしくて、誰にも知られたくなくて。
脅されるがままに、また告げる。
結果は悲劇の二の舞だ。
そうなったら、もう逃げだしようも抜けだしようもない。誰にも、何も告げられない。
ただ、他の情報が得られることだけにすがるしかなくなる。
「全員、もらさず捕える。これでお終いだ、ヤツらに二度と好き勝手はさせない」
一人の唇が大きくわなないたのに気付かなかったとすれば、葉山の強い瞳に見入っていたからだろう。
「誰だということを考えるな。俺たちは薬物を広めて己らだけ甘い蜜を吸おうとしてるゲス共を捕える仲間だ、いいな」
もう、後は無い。
皆が、頷く。
「よし、では突入時の配置について確認する」
葉山の声に、力がこもる。船戸たちが地図へと向き直る中、透弥は、ちら、と時計を覗く。
「42722」
唇の動きだけで呟くと、いつもの無表情で同じく地図へと向き直る。
「ギリギリまで、狙いがヤツらと気付かれては駄目だ」
「機動隊を隠す方法が必要じゃ?繁華街にいきなり機動隊が現れたら、騒ぎになる」
松倉の懸念に、船戸が頷く。
「その点は神宮司警視が考えてくれているよ。交通課を模して散ばせておけばいい」
「ちょうど、近辺で道路工事があるんです。それから、こちらの大通りはスピード違反常習が多い」
須川が続けると、葉山が頷く。
「その話は?」
「通してあります。集合時の指示のタイミングが大事になります」
透弥が返すと、再度、葉山は頷く。
「わかった、後でもう一度詰めておこう。警視が調べてきたファイルの中を良く覚えておけ。メルティ所持、使用、販売、製造、どれかの容疑で逮捕すること」
「幹部級でとぼけるのがいたら、死体遺棄容疑です」
「え?」
今村が間抜けに近い声を上げるのに、透弥は平静な視線を向ける。
「一か月前、ブルーの製造関係者の遺体が発見されているはずです。関わっている可能性が高いという情報があります」
須川と船戸も初耳だったらしく、いくらか目を見開きながら、他の皆と顔を見合わせる。
「メルティの次はブルー、皆、思うところは同じのようだな」
葉山が、いくらか眉を寄せつつ言う。
「自分らの販路を潰されるか侵食されるかしたんだろう」
「となると、ブルー関係の情報も期待出来ます」
浜村が、目をきらめかせる。
「どうあっても、失敗出来ませんね」
皆、それぞれに同意の呟きを漏らす。
「誰も死なせるな」
生きて罪を償わせること、と言い切る。



-11月08日 14時36分
モノは良さそうだが品は悪いスーツの男は、にったりと笑みを浮かべる。
「紳士的に会話をしようって言ってんじゃねぇか?」
「紳士的ってのが足が先に出ることを言うなら、俺の足も自由にしてくれていいだろ」
駿紀が言ったなり、言葉通りに足が出てくる。
「てめぇがうろちょろすっから、こんなになんだろうが!」
手足が不自由なせいで、相手の思い通り、思い切り腹に入る。
息がつまるのを堪えて、もう何度見渡したかわからない、この場へと視線を走らせる。
湿気の混じったカビ臭さが鼻をつくあたり、地下のどこかだろう。妙に明るい照明がついており、扉はヒトツ。少なくとも、目で見る限りでは隠し扉は無さそうだ。
床はコンクリート打ちっぱなし、壁も同様。
扉も金属製のようで、厚みもありそうだ。防音を狙っているのか、他に目的があるかはうかがい知れない。
連れてこられる時に見られるだけ見た限りでは、この地下に最低もうヒトツ部屋が存在する。
恐らくは、そこがメルティを合成している場所だ。
こんな状態では動きようが無いから、確かめようも無いが。
少なくとも、相手がそう思っているらしいことは、確実だ。
なんせ、潜り込んだ刑事を見つけた、となったなり、十人近い人数で取り囲み、十重二十重に動きを封じてきたのだ。
なのに、さほど広く無い、殺風景なこの部屋に不自然にそびえる柱へと駿紀の手足を縛りつけた後は、ほとんどが引いた。残っているのは、紳士的とは言いかねる交渉を持ちかけているげひた男と、壁に寄りかかったまま無言でいる男との二人だけだ。
黙っている方が、このメルティ組織の首領だろう。服装を黒がかった色でまとめているあたりは、Le ciel noirに倣っているに違いない。黒木を知らなかったら、駿紀もそれなりの威圧感を感じていたかもしれない。
「へーえ、今度はダンマリかよ?」
駿紀の無言を黙秘と取った男の笑いが、大きくなる。
「ママに教えてもらわなかったか?質問にはちゃんと答えなさいってよ」
今度は、左頬に思い切り入れられる。
顔をやられると後日の捜査に響くんだよな、と駿紀は思うが、ひとまず切れて出てきた血を吐きだすに留めておく。
「いいか、ちゃんと耳の穴かっぽじって良く聞いとけよ」
男は、駿紀の右耳をひっぱってくる。
耳は特別いいから、あまり大声にしないで欲しいところだが、それを言ったらますます大声でやられかねない。仕方ないから、やはり見返すだけにしておく。
「質問、ヒトツ目。お前はナニモンだ?」
もちろん、駿紀が答えるはずがない。それは男もわかっているらしく、さほど間をおかずに続ける。
「フタツ目、特別捜査課とやらが、俺らに何の用だ?」
それを知っていて、なぜ何者などと訊くのか疑問だ。透弥なら、絶対に不機嫌な顔になったに違いない。
必要外のケンカを売る気は無いから、内心でツッコむに留めておくが。
「ミッツ目、何を探りに来やがった?」
順に指を立ててくれるあたり、粗野で下品だが律義ではある。もっとも、この質問にも答える気は無い。
「ヨッツ目、このままダンマリで明後日まで意地張る気か?」
透弥が仕掛けた、と駿紀にはすぐにわかる。
情報提供者は、まんまとフェイクを伝えたのだ。
真実は、後、33241秒。
相手を見つめ返して、駿紀は返す。
「そうだ、って言ったら?」
暴力程度で簡単に折れたりはしないと判断したのだろう、男は、背後のへと振り返る。
無言だった黒い男は、いくらか不機嫌そうに眉を寄せて近付いてくる。
「こういった状況で落ちつけと申し上げるのは無理難題かもしれません。が、冷静に考えられた方がいいですよ」
丁寧だが、どこか冷やりとした空気を感じさせる口調だ。
通常の人間は、ぞくりとするのだろう。
だが、残念ながら、無表情で丁寧に相手を逆なでするのは透弥の方が、ずっと上手だ。
確かにそれらしい雰囲気はあるが、この男は天宮財閥総帥やLe ciel noir総帥といった人物とは、この口調では相手出来ない、と確信出来る。
またも無言のままの駿紀に、黒っぽい男は困ったような笑みを浮かべる。
わざとらしいなあ、と思わざるを得ない。身についているのではなく、メルティ組織の首領として作っているだけなのだろう。
「桜ノ門の方が、特別に訓練を積んだ方とは存じ上げています。職務に対するプライドをお持ちのことも。ですが、この状況をよく考えてみて下さい」
鼻につくくらい大げさな仕草で、部屋を示す。
「あなたは自由に動けないし、ここは音も漏れません。扉が完全に閉ざされてしまえば、お仲間が突入したとしてもここに気付きませんよ?水も食べ物も自由にならない状態で、一人取り残されるのは、どうでしょうね?」
実際にそういう状況になったら、さすがに焦ると思う。
が、ここは雑居ビルだ。しかも、突入時には間違い無く透弥がいる。冷静かつ観察力抜群の透弥が、ここを見つけられない訳が無い。
ようするに、首領の言う想定は、あり得ない。
が、さすがにあり得ないと言う訳にもいかない。
「どうでしょうね」
くらいしか、返す言葉が見つからない。
首領の苦笑が、大きくなる。
「もしかしたら、あなたは他の部署の方のようだから、ご存じ無いのかもしれませんね。前にも、似たようなお客様をお迎えしたことがあるんですよ、お二人ばかりね」
知っているが、そうは言わない。相手が気持ちよく話している時は、謹んで拝聴するのに限る。特に、こういう時には。
なんせ、しゃべってくれればくれるほど時間が稼げるのだから。
「お二人とも、あなたのように職務に忠実な立派な方でした。ですが、その結果はどうでしょう?」
もったいをつけて、首領は言葉を切る。
駿紀は、ただただ相手を見つめ返すばかりにする。
「教えて差し上げましょう、お二人とも、取り締まるはずのモノを覚えて帰られたんですよ」
首領の目は、糸のように細められる。
「ねえ、取り締まるはずの刑事さんがねえ?」
覚えてじゃなくて、覚えさせてだろうが、と喉元まで出かかった言葉を、駿紀はどうにか飲み込む。この手の連中の相手をしていると、時折、妙にイラっとさせられる。
思い通りにコトが運ぶと信じているポジティブさは、ある意味褒められるべきなのかもしれないが、独りよがりはいただけない。
半ば無意識に、駿紀の顔が不機嫌になったのをどうとったのか、首領は笑みを深める。
「ここは、よく考えるべきです。アナタの刑事生命がかかっているという事実から、目を逸らしてはいけません」
言い聞かせるような、半ば馬鹿にしたような口調で言ってから、駿紀を覗き込む。
「大人しく、質問に答えるのが身のためです。特別捜査課のどちら様です?なんの用があって、ここに入りこむような真似をしたんです?」
どちらも、答える義理は無い。
駿紀は口をつぐんだまま、首領を見つめ返してやる。
「聞き分けの悪い方ですね。それとも、口だけの脅しと思っていらっしゃる?」
細い目を、後ろに控えていた男へと向ける。男は頷くと、部屋を後にする。
「後悔先に立たず、という言葉くらいはご存じでしょう?」
視線を駿紀へと戻しながら、首領は猫撫で声になる。
「最後のチャンスですよ?」
質問が、アレだけで済むのなら、答えるくらいはどうということはない。
駿紀が誰だろうが、目的がなんだろうが、アチラにとって毒にも薬にもならないのは、お互いわかっていることだ。
が、ヒトツ答えれば、後はキリが無い。
もっとも、彼らが知りたいと思っているだろうことのほとんどは、駿紀も知らないのだが。
無言でいるということは、知っているふりをすることでもある。
相変わらず口を開こうとしない駿紀に、首領はわざとらしい肩のすくめ方をしてみせる。
「やれやれ、人の親切がわからない方だ」
つ、と顔が寄る。
「どうも、警察の方はあまり賢いとはいえないようだ。取り返しがつかなくなるまで、わからないとは」
寄っていた顔が離れたところで、男が戻ってくる。
細いケースを、うやうやしく差し出して首領へと渡す。
受け取った首領は、にんまりと笑う。
サディスティックな、その表情こそが彼の本性だろう。
結局のところ、彼らの質問に答えようが答えまいが、首領はコレを使うのだろう。
相手が、止めてくれと懇願する顔を見るのが嬉しいに違いない。そして、薬を覚えさせた相手が、欲しいと泣くのを見るのが、最大の楽しみだと言ってのけるはずだ。
透弥ほど無表情が上手い訳ではないが、この手の相手を思い通りに喜ばせてやるほど親切でも無い。
駿紀は、首領をただ、見返してやる。
「メルティはね」
舌舐めずりでもしそうな顔つきで、首領はケースを人差し指で撫でる。
「吸うのもいいけど、やはりおススメはコレですよ」
カチ、と妙に響く音と共に、ケースは開く。
「ほら、ね」
駿紀へと中身を向けながら、嬉しそうに笑う。
高めの天井からの光に反射して、ソレは、きらり、と光る。
ほっそりとした注射器。中に何が入っているかなど、問うまでも無い。
「ねえ、大人しく質問に答えていれば良かったのに?」
針先から落ちる液体が、きら、と光を放つ。
駿紀は、強く強く、念じる。
後、32325秒。

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