□ 霧の音待ち □ glim-8 □
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-11月08日 18時06分
扇谷は、いくらか目を見開いて透弥を見つめる。
あの事件以来、ある程度身近に見てきたと自信を持って言うことが出来るが、ワガママの部類に入ることを一度も口にしたことが無い。
が、今、透弥が言ったことは、間違いなく私心が大きく絡んでいるとしか思えない。
しかも、ソレを押し通すだけの準備を整え、後は扇谷が頷くだけだ、と言うのだ。
「本当に、天宮のお嬢さんが了承したんだね?」
最も重要な確認事項を、問い返す。
「ええ、自由にしてくれて問題ない、とのことです。正式依頼として持ち込んで構わない、と。書面等、必要ですか?」
無表情のまま、よどみなく透弥は返答する。
「いや、公式な何かがあるわけじゃない。いちいち記録に残すと後が面倒だしな」
自宅に、秘密裏に国立病院に勤める医師をを派遣しろなどと言える立場の人間を不機嫌にさせても、いいことはあまり無い。対応は相手を選ぶにしろ、それなりに満足させておくに限る。
それにだ、下手をうつと、実際リスティアのみならずAquaの経済や政治に影響を与えることになる人間は確実に存在する。例えば、今回の依頼人ということになる天宮紗耶香のように。
「わかっているとは思うが、警察病院にあたる部門もあるんだよ?」
警視庁に近いこともあり、事件性のある患者や警官たちを優先的に診る部門が国立病院にはある。事件事故部門のトップである扇谷は、当然、そちらのトップでもある。
ようは、扇谷に話を通しておけば、警察病院部門だとてかなりな融通が効くのだ。
まさか、天宮紗耶香に通した無理を、扇谷に言えないというコトはあるまい。結果的に、こうして無茶を言っているのだから。
「扇谷さんの統制を疑う気はありませんが、どこにでもおしゃべりはいるものです」
相変わらず、表情を変えないままに透弥は言う。
「世間には漏れないでしょうが、嗅覚が鋭いのが多いですから」
天宮紗耶香が正式依頼人となるのだから、最終的に断る気は無い。が、透弥が理不尽と思われることを言い出したのがらしくなく思えて、問いを重ねる。
「だが、捜査段階でソレが前提である限り、庁内には嫌でも知れるだろう?」
「知れて、乗り込まれると厄介なのがいます」
透弥にしては、かなり多弁な方だ。
理由はもちろん、要求を通す為。
「乗り込む?」
扇谷は、またも目を見開いてしまう。そんなに自重出来ない人間が、庁内にいるとは思えないのだが。
いくらか透弥は、眉を寄せる。
「尊敬している上司に、自制の効かない状況を見られたくは無いでしょう」
それ以上は言いたくない、というように口をつぐむ。
扇谷とて、察しは悪い方ではない。ここまで言われて、何を避けようとしているのか理解は出来る。
何より、すでにコレは天宮家の正式な依頼であり、透弥は充分に説明した。
「わかった、今のところ急を要する患者は入っていないから、私が対応しよう」
「ありがとうございます」
深く頭を下げた透弥の表情は、すでにいつもと変わらない。
「では、失礼します」
背を向けると、どことなく早足で扉の向こうへと消える。
その、すっきりと伸びた背を見送りながら、扇谷は小さく息を吐く。
似てきた、と。
そっくりなのだ、と、そう言えたなら。
きっと、こんなにも頑なでい続けなくても、いいはずなのに。だが、けして言ってはならない一言だ。
今の彼にとって、苦痛にしかならないから。



-11月08日 18時47分
少なくとも、初手の一回は相手にとってはありがたくない展開だったはずだ。
間違いなくバッドトリップの方で、気分の悪さに吐きそうになったくらいだから。だが、吸うのとは数段の違いの効きだろう。
頭がぐらぐらとするし、身体を支えるのもなかなか難しい。
自由が利かないようにと、恐らくはヤクが出来るだけ早く回るようにだろう、頭上に持ち上げられた手首がギシギシときしむ。
指先がしびれているのが、血液が上手く回らないせいなのか、他の理由かも考えられない。
ただヒトツ、ありがたいのはさほど痛みを感じていないことだ。
駿紀は、本性丸出しでニヤニヤしながら覗き込んでいる首領の顔を奥歯をかみ締めつつ、見つめ返す。
「ね、なかなかでしょう?そろそろ楽になりたいと思いませんか?」
冗談じゃない、と思う。
目前で、煌いているガラスの中にある液体が、自分を楽にするものだなんて思わない。
誰が、ソレを下さいなどと口走るものか。
口には出さないが、表情には出たらしい。
「いい瞳ですねぇ」
舌なめずりでもしそうな顔つきで、首領は言う。
「今までの刑事さんの中で、イチバンいい目ですよ。嬉しいですね」
喉の奥でひとしきり笑って、続ける。
「そういう方だからこそ、コレが欲しいって言わせたいですねぇ」
ねっとりとした口調に、反吐が出そうだ。
もし、欲しいと言えば、ヤツらは根掘り葉掘り質問を繰り返してくるに違いない。
自分が欲しい答えが出るまで、焦らすのを楽しみたいのだろう。
首領の楽しみは、まさにソコに違いない。
誰が思い通りになんかなるか。
思ったのが目に出たのか、それとも無意識に口に出たのか。
首領は、にったりと笑みを深める。
「どうやら、まだ、足りないようですね」
また、喉の奥で笑う。
「明日の夜までは、まだまだ時間があります。じっくりと行きましょう」
駿紀は、奥歯を強く強くかみ締める。
思ったことが、絶対に口に出ないよう乾いた喉で何もかもを飲み込む。
今の駿紀にとっての、よすがはソレだけだ。
目前の反吐が出そうな男は、24時間勘違いをしている。
突入の時間まで、後、18536秒。
その後で、間抜けヅラをさらすのはお前だ、と唇をかみ締めながら腹の底で毒づく。
「ねえ、この次は、もう、そんな顔は出来ませんよ?」
首領は、うっとりと目を細めながら、注射器を目の高さへと上げる。
「楽しみですねぇ、どんな顔でお願いしてくれるんでしょう?」
それだけは、絶対にしない、と。
駿紀は、強く強く誓う。
絶対に、透弥が迎えに来るから。三度目の前には、必ず。



-11月08日 21時22分
机上の見取り図には、必要最低限が書き込まれている。
が、その上を何度、葉山の指が辿ったかしれない。突入の最終確認を終えて、真剣な瞳が面々を見つめる。
「いいか、これがメルティ組織を俺たちが壊滅させる、最後のチャンスだ」
船戸が、須川が、浜村が、松倉が、そして今村が頷く。
いくらか血の気が引いているのは、緊張の為だ。
最後に視線を向けられた透弥は、無表情のまま、地図の一点に指を伸ばす。
「隆南から、抜け道になりうる裏道を聞いています。ソチラを抑える方に回ります」
皆、つられるように透弥の指した個所へと視線をやる。軽く瞬いたのは、松倉だ。
「そんなところに道があったのか」
「確かに、幹部級なら知っててもおかしくないかもしれないですが」
首を傾げる浜村に、透弥は静かに視線を向ける。
「ふさがれれば一巻の終わりであることも当然、知っているでしょう。ですが、空けておく訳にもいきません」
透弥の言うことは、実にもっともだ。
「わかった、頼む」
葉山が頷いて、確定だ。が、須川が困惑気に首を傾げる。
「完全に裏手じゃ、合図が聞こえないんでは?」
「時間さえ外さないでいただけるなら、間違い無く」
それだけで葉山には通じたらしく、ポケットから時計を取りだして透弥へと差し出す。
「コレで、0時ちょうどだ」
同じく時計を取りだし、見比べてから透弥は頷く。
「わかりました、必ず」
葉山も頷き返し、どこか重々しい動作で時計を仕舞い込む。
もう一度、一人一人と視線を合わせる。
「皆、頼む」
頭を下げる葉山に、誰もが真剣な顔で頷き返す。
そして、突入前までの待機箇所へと散っていく。
最後に残った透弥は、振り返った葉山に静かに頭を下げ返す。
葉山も頷き返すと、振り返らずに歩き出す。
皆の背が見えなくなってから、透弥はもう一度、時計を取りだす。
後、9998秒。
葉山との時間の差など、誤差と言い切れる。
皆が走るように去ったのとは、逆向きへと、早足に歩き出す。
着いた先は、特別捜査課だ。
上着を投げ捨てるように机に放ると、素早くホルスターを身につける。鍵付きの棚からヴェシェII型を取りだして軽く確認してから、ホルスターに収める。
踵を返しがてら、上着を取り上げて素早く手を通す。
扉を開けたところで、その足が止まる。
「勅使さん」
いくらか不審そうに名を呼んだ透弥へと、声を抑えて勅使が言う。
「葉山のところか」
問いでは無く、確認だ。
捜査外のことで、声が低いだけでなく口早なことなど、先ず無いことだ。透弥はいくらか眉を寄せる。
「厄介なのが嗅ぎ付けた」
名を言われずとも、誰かはわかる。
小さく息を吐いてから返す。
「想定内です」
「ひとまずは、いつもと反対の階段から行け」
低い声のままで言うと、勅使は透弥の返事を待たず、自分はいつもの階段へと向かう。
透弥は軽く頭を下げてから、反対方向へと足を早める。



-11月08日 23時45分
元々人通りがほぼない細道は、しん、と静まり返っている。
街灯も無いし、近隣のどのビルも裏手には窓を設けていない上に、どこかの大通りから漏れこんでくる光も、ほとんど無い。
ほぼ、闇同然だ。
だが、かなり敏感な人間なら、息をひそめるような気配に気付くだろう。
警視庁機動隊が、蟻の這い出る隙間も無いほどにひしめいているのだ。
その前で、周囲の気配に注意を払っていた透弥は、す、と目を細める。
誰かが、近寄る気配がする。
機動隊員の誰かが、小さく、あ、と呟く。
「神宮司警視」
ほとんど囁くような声だが、透弥には誰だかがわかる。軽く動いた手が、通行可ということだと判別した機動隊員が細い間をあけ、今村がごく側まで来る。
顔に浮かんでいるのは、困惑だ。
「警視も、突入するおつもりですか」
突入態勢最終確認の時に、裏手を抑えると言いつつ突入時間を詳細に確認したのを見て、察したのだろう。
うっすらと見える表情にも、声にも感情を乗せずに透弥は返す。
「ここは機動隊で充分でしょう」
「ですが」
声は消しているものの、いくらか上ずりがかった音に、透弥が手を軽く上げる。
静かにしろ、の意なのは、すぐに通じたらしく、今村は口をつぐんで肩を大きく動かす。どうやら、深呼吸したらしい。
「持ち場はどうしました」
「葉山さんの許可は得ています」
「では、アナタがこの場を指揮して下さい」
班長である葉山に許可を得てきたとはいえ、持ち場を放棄してきたと責められても文句は言えない立場の人間へと、あまりにあっさりと権限を委譲されてしまい、今村はますます困惑顔だ。
「え、ですが」
「どう指揮しようと自由ですが、目はあります」
凍りついた声に、ぎくり、と今村の肩が揺れる。
「馬鹿な真似は、考えないことです」
一方的に告げると、透弥は返事を待たずに背を向ける。
その口元が、微かに動いたのは誰にも見えない。
654、と吐息のように息が漏れる。
ダークスーツが闇に溶けるように、雑居ビルの方へと消える。



-11月08日 23時51分
ニヤニヤと見つめる首領の顔が、駿紀の視界で、ぐらぐらと揺れている。
頭のどこかがヒドく痛むが、それがどこかわからない。塊で存在する何かを、ひっつかんで放りたくなるような嫌な痛みだ。
外から圧迫されているような、中で何かが暴れているような。
身体が、経験したことがないほどに重い。
とにもかくにも、気持ち悪い。
臭いが残っていないから片付けられたのだろうが、多分、何度か吐いたのだろう。何かこみ上げそうなのに何も出てこない。
それよりなにより、時折、意識が遠のくのが何より怖い。
532、という数字があっているのか、ひどく不安になる。
それだけじゃない。
もしかしたら、駿紀が思っている以上に気が遠くなっている時間は長いかもしれない。
その間に、言ってはならないことを口にしているかもしれない。
本当は突入日が今晩であることを、言ってしまったのかもしれない。
強く強く、奥歯を噛みしめる。
ぐら、と大きく視界が揺れる。
また、意識が飛びかかるのに気付いて、唇を噛む。
「まだ、楽になりたくは無いですか?」
相変わらず、舌舐めずりしそうな顔つきの首領が、駿紀の顔を覗き込んでくる。
「ね、言ってしまえば楽ですよ?欲しいって、ね?」
その腹立たしい視線さえ、回りそうだ。
気持ち悪い、気持ち悪い。
ホント、ヤクなんてロクでもない。
駿紀は、内心で毒づく。
こんなヤツから逃げるなんて、絶対にしたくないのに。
ああ、きっと。
意識が無くなってしまえば、自分の管轄で無くなってしまえば。
きっと、楽なんだ。
そう、微かにでも思ってしまうのが。
そして、カケラでも思うと、侵食するように脳に広がってくるのが。
本当に腹立たしい。
絶対に、言わない。
ヤクが欲しいなんて言わない。
「誰が」
腹の底から、振り絞る。
「誰が、言う、かっ」
首領は、わざとらしいくらいに大きく肩をすくめる。
「おやおや、アナタは賢い方かと思っていたのに、そうでも無いようですね?」
厭味ったらしく、ほとんど感覚を失っている腕に触れる。
触り方のせいなのか、メルティのせいなのか、妙にぞわっとして駿紀は身じろぐ。それをどうとったのか、首領の笑みが大きくなる。
「明日の夜半までは、アナタは全く自由になどなれはしないんですよ?否定するだけ、無駄なんです」
喉の奥で、ひきつったような笑いをこぼす。
不愉快なくらいに頭に響いて、思わず駿紀は眉を寄せる。
奥歯を噛みしめながら、内心で、違う、と返してやる。
と、同時にほっとする。
まだ、言ってない。
突入は、もうすぐなのだと口走って無い。
後、475秒で、警察が突入してくるのだとは。
自分でも、驚くくらいに身体が緩みそうになって、慌てて唇を噛み締める。
何度やったのか、もうそろそろ痛みも感じにくくなっている。
ギリギリだ、と思う。
なのに、あと少しだ、もう少しだと思えば思うほどに、一秒が過ぎるのが遅くなっていく。
466、465、464。
このカウントが合っているのか。
大事な拠り所が、心許ない。
早く、時間が過ぎて欲しくて、勝手にカウントしているだけじゃないのか。
そんな駿紀の葛藤を知ってか知らずか、首領の目が細まる。
「ねえ、一言だけですよ。質問に答えるより、ずっと楽です。そうでしょう?」
駿紀が内心では、メルティを欲しがっていると決めてかかった目つきだ。
「私を満足させて下さいよ、そうしたら、そうですねぇ」
一歩引いて、またもわざとらしい仕草で顎に手をやる。
「うん、一時間程度なら、自由にして差し上げます」
二度目までなら、一回で完全に中和出来る。
正岡が言ったのだから確実だ。
三回目が来たのなら。
ヤクが抜けるまで、どのくらいかかるのか。
多分、単純に倍すればいい訳ではないことは、おぼろげにわかる。
こんな短時間に、三度も純度の高いヤクをやったら、自由になんてなれる訳が無い。腰が立たないに決まっている。
それだけなら、まだしも。
意識が混濁する可能性が、高い。
そうなったら、何を口にするのか。
考えたくも無い。
今は、駄目だ。
まだ、早い。
367、366、365。
哀れむような視線が、妙に近くに寄ってくる。
「最初に言ったことなど忘れてしまいましたかね?」
視線を逸らしたはずなのに、反吐が出そうな笑みだけが残る。
「ここを、お仲間は見つけられないですよ」
違う。
他の誰がわからなくても、透弥は探し出してくれる。
絶対に、透弥は約束を守ってくれる。
睨みつける駿紀に、首領は肩をすくめる。
「そろそろ素直になりませんか?」
わざわざ、駿紀の真正面になるように位置をとって、覗き込んでくる。
「これでも優しいんでね、壊したくはないんですよ?」
やはり、そうか。
と、ぐるぐるする頭で理解する。
三度目をやられたら、意識が混濁するだけでなく、下手をすると命に関わることになる。
だが、屈しても思うツボだ。
288、287、286。
まだ、時間がある。
約束の時間まで、まだ。
だけど、引き延ばす方法なんて、思いつかない。こんな頭じゃ、考えられもしない。
何も返しはしないが、視線だけは逸らさない駿紀に、首領は大げさに首を横に振る。
「残念ですねぇ」
ちら、と後ろを向くと、最初の男が頷いて出ていく。
二度目までのペースで持ってこられたら、間違い無く時間前に三度目のメルティが来てしまう。
屈したふりをして、時間を引き延ばすべきだろうか?
普通の状態なら、コチラにとって毒にも薬にもならない情報をソレらしく漏らすことも出来る。
でも、メルティをくらってる状態で、本当に出来るだろうか?
駿紀が見た連中は、質問がきたらまるでスイッチが入ったように答えていた。
自分も、そうなってしまったら?
水も漏らさぬ配備はしているだろうが、人質になってしまっては意味が無い。
やはり、下手なことは出来ない。
244、243、242。
早く過ぎて欲しい時間は、ちっとも動かない。
扉が開く気配に、駿紀は思わず目を見開く。

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