□ 霧の音待ち □ glim-9 □
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慌てて奥歯を噛みしめて表情を引き締めたけれど、首領が気付いた様子は無い。
なんせ、合成したてのメルティを取りに行ったはずの男は、いくらか困惑気に手ぶらで戻って来たのだ。
「どうした?」
イラだたしげに訊く首領へと、男は軽く頭を下げる。
「大盤振る舞いがあるってウワサが流れたらしくって、アホみたいに売れてるんだそうで」
ふん、と首領は鼻を鳴らす。
「次に出来たのは、先ずコチラに回せ」
「は、はいっ」
首領の顔に何を見たのか、男は急ぎ足で走り戻っていく。
再度、扉が閉まってから。
駿紀へと向き直った首領は、笑顔で目を細める。
「考える時間が増えましたよ?」
「同じことだ」
いくらか掠れるが、言い返してやる。
合成にどの程度かかるのかわからないが、いくらかでも遅くなるなら屈するかどうかなど迷う必要は無い。
これ以上、自分で自分を制御出来ない状況などごめんだ。
首領は、楽しそうに喉で笑う。
「おわかりになってないな、メルティはすぐに合成出来るんですよ。私が望んだなら、すぐに来ます」
181、180、179。
だが、まだ扉が開く気配は無い。
つ、と不愉快な笑みが、駿紀の目前にやってくる。
「心を入れ替えるなら、今のうちです。命が危うくなりますよ?」
口の端を、妙な形に持ち上げる。
「まさか、刑事さんがヤクで死ぬ訳が無い、なんて思ってはいらっしゃらないでしょう?」
その点は、首領が言う通りだ。
だが、あまりに頭がぐらぐらして、気持ちも悪い状況では、思考がまともに働かない。
死が目前に突き付けられている、という事実はわかるが、それがどういうコトなのかを考えるだけの思考力も気力も無い。
駿紀とは関係の無い、何かのように思えてしまう。
もちろん、時間を引き延ばさなくてはならないことはわかっている。けれど、その方法も考えられない。
今は、ただただ、メルティの合成が遅れることを祈るばかりだ。
153、152、151。
まだ、早い。
あと、少しだけ。
頼むから、あともう少し。
なぜ、時間は一定にしか過ぎていかないんだろう、と理不尽なことを思った瞬間、また視界が揺れる。
奥歯を、噛みしめる。



-11月08日 23時58分
裏手のようにあからさまではないが、交通課に見せかけて展開していた機動隊はじわじわと動き出しつつある。
その報告を逐一聞きつつ、葉山は必要な指示を飛ばしていく。
ふ、と途切れた瞬間、ちら、と松倉の方を振り返る。
「今村はどうした?」
「裏手に回ったまま、戻ってません」
いくらか眉を寄せたままの葉山へと、先手で回って来た機動隊の一人が言う。
「今村刑事なら、裏手の指揮を任されているようです」
葉山は、軽く瞬く。
「え、裏は神宮司警視が?」
「いえ、間違い無く今村刑事です」
嘘を吐いているなどは、思わない。だが、だとすると。
透弥は、どこへ消えたのか。
「そうか、わかった」
指揮官が下手な疑問を顔に出すのは法度だと知っている葉山は、ただ頷いてみせつつ、考える。
特別捜査課は、葉山たちとは全く異なる情報ルートを持っているようだった。しかも、その能力たるや、とても及ばない。
今回の件も、基本的にサポートする立場を貫いているものの、肝心な部分は全て彼らの意見が取り入れられている。
ということは、だ。
彼は、葉山たちの知らない進入路を知っているのかもしれない。
考えて、すぐに否定する。いや、それは無い、と。
透弥は警官としての職務を疎かにするようなタイプでは無い。まして勅使のお気に入りなのだ、まさか。
そうなると、考えられるのは何か。
着々と進む包囲網完成へと向け、忙しくしつつも葉山は忙しく考える。
特別捜査課の二人は、あえて潜入を選んだ。
メルティ組織を確実に潰す為に。
彼らとて、その危険性がどれほどか、理解していない訳が無い。
はっとした顔つきになり、松倉へと振り返る。
「ザコは機動隊に任せろ、出来るだけ早く合成個所と中枢を抑える」
「はい」
改めて言われるまでも無い、という顔つきで頷く松倉へと、葉山は口早に伝える。
「船戸と須川も近くにいるな?浜村にも伝えろ、神宮司くんは、一人で突っ込むつもりだ」
言われた言葉に、ぎょ、と松倉は目を見開く。
そして、いくらか早足に仲間のいる方へと動く。
葉山は、気忙しげに時計に目を落とす。
23時59分15秒。
後、もう少しだけ自重してくれれば、二人共を危険にさらすことは無くなる。
もうすでに、一人をとんでもない状況に陥れておいて、今更だとは思うが、それでも。
あと、少しだけ。
葉山は、祈るように時計を見つめ続ける。



-11月08日 23時59分
一分を切る直前に、男はケースを持ってきた。
首領は、それはもう満面の笑みで駿紀を覗き込む。
「まだ、お考えは変わりませんか?」
39、38、37。
まだ、早い。
だが。
「変わらないな」
どうやっても、声が掠れる。
水を口にしていないのもあるけれど、メルティのせいかひどく喉が渇いている。
ヤク以外にせよ、要求をしたら、見返りを求められるのはわかっている。カケラでも相手を喜ばせる気にはなれない。
睨み返す視線に、首領は苦笑を浮かべる。
「それは、残念です」
22、21、20。
パチリ、と音を立ててケースが開く。
首領は、もったいぶった動作で注射器を手にする。
はたり、と、針先から一滴落ちる。
「空気を入れるような真似は、しないで差し上げますよ」
11、10、9。
針先が、近付く。
もう少しで、腕に触れる。
コレが手に入れば、新鮮なメルティが。
8、7、6。
カウントする方に、多分、一瞬、気を取られていた。
「?!」
首領が、ぽかん、と目を見開く。
その顔で、気付く。
駿紀は、口で注射器本体を加えていた。
止めたいのと、メルティを入手したいの一心で。
あまりの予測外に、首領の思考も止まったらしい。が、それは一瞬のことだ。
注射器を取り返すべく、空いた腕が振り上げられる。
下手に殴られたら、口の中で注射器が割れる。
もし、そんなことにでもなれば。
だが、駿紀の頭にあるのは、ソレでは無い。
3、2、1。
0、とカウントする瞬間。
高音の、金属が弾け飛ぶ音。
何かと理解する前に、二回、三回、と続く。
首領も音の方へと振り返るが、先に見ていた男の目が見開かれる。
「な、な?!」
コンクリート打ちの部屋に、扉のノブから飛び散る金属が落ちて反響する。
慌てたように走り寄る男の上に、頑丈そのもの金属扉が倒れてのしかかる。
「うわああ?!」
死にはしないだろうが、誰かが扉をのけてくれるまでは身動き出来ないに違いない。
扉だったモノの背後から現れたのは、足、だ。
何ゴトか、と駿紀も目を見開く。
メルティの見せる幻だろうか。
どう目をこらしても、透弥が足を振り上げているようにしか見えない。
手には、ヴェシェII型。
なぜだか、透弥の動きがスローモーションのようにはっきりと見える。
下りてきた足が、仮借なく扉を踏みつけたので、下からはカエルがつぶれたような声がする。
が、そんなことに全くかまう様子無く、透弥は銃を構える。
何度目かの轟音の次の瞬間。
首領が、声にならない声を上げて、尻餅をつく。腿を押さえているが、出血はたいしたこと無さそうだ。
「うあ、あ、あ」
早足に近付く透弥は、実に不機嫌だ。
その顔に何を思ったのか、恐怖を顔に浮かべつつも、首領は手にナイフを握る。
が、透弥は全く気にする様子無く、またも銃弾で跳ね飛ばす。
「こ、殺す気か?!」
半ば裏返った首領の声に、透弥の眉が寄る。
「そんな簡単に楽にしてやる訳が無いだろう」
「ひ、あ。う、ああああ」
自分がやっていたようなことをやられる、とでも思ったのだろう。悲鳴ともなんともつかない酷い声が漏れる。
「ともかく、今は黙っていろ」
首領の目前まで近付いた透弥は、低く言ったなり銃の台尻を振り下ろす。同時に、膝も入れる。
「ぐぇ」
それこそ、何が潰れたのか、という声を発して、首領は転がり落ちる。
銃をホルスターにしまいながら、透弥が振り返る。
無表情に近付いてきた顔に、少しだけ困惑が浮かぶ。
「もう、いい」
不可思議な一言と共に、手が伸びてくる。
なぜ口元、と思って、駿紀は、はた、とする。
まだ、メルティの注射器をくわえたままだった。
口元の力を緩めると、注射器は透弥の手に移る。
首領が持っていたケースに収めた透弥は、何かを確認してからしまいこむ。
「大丈夫だ、コレで中和剤が合成出来る」
言いながら、今度は手を上に上げる。
自分を戒めているモノを、解こうとしている、と気付いたのは、一瞬の間があってからだ。
本当は、わかっていた。
0、をカウントする時は、警察の突入時間なのだ、と。
だから、0を過ぎても、かなり待たなければ警官は到達しないことも。
なのに、透弥は約束通りに現れた。
0時きっかりに、全く遅れずに。
来てくれた、本当に来てくれた。
透弥は、約束を守ってくれた。
それしか、もう、駿紀の頭には浮かばない。
間に合った、透弥は間に合わせてくれた。
「必ず」
言った言葉を、守ってくれた。
ほっとしすぎて、膝から力が抜ける。

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