□ 霧の音待ち □ glim-10 □
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-11月08日 23時59分
時間の流れは、人の感覚によって大きく変わるとはわかってはいるが。
透弥の記憶の限りでは、最も長い60秒ではないか。
時計が狂ったのではないか、巻き違えたのではないか、見間違えたのではないか、と何度も見直す。
辿りついたのだから、突入するのは簡単だ。
特に、ケースを手にした男が慌てたように扉向こうに行こうとした時には、よほど抑えてしまおうかと思った。
が、下手をうつと、多勢に無勢になる可能性が高い。
一瞬は駿紀の危機を回避することが出来ても、結局は相手の手に落ちたのでは意味が無い。
その他大勢が、外へと引きつけられててもらわねば、困る。
最悪、意識を失っているかもしれない駿紀を連れて、多人数を相手にすることが可能などと思い上がることなど、出来るはずが無い。
確実に、相手を抑え込む為の60秒だ。
現実では、ほんの少しだけだ、と言い聞かせる。
時計は狂ってはいない。
こういう時の為にこそ、手入れを怠っていないのだから。
出来るのは、約束を守ること。
それだけだ。
周囲に人が来る気配が無いことを確認して、扉へと近付く。
トリガーを下ろしっぱなしのヴェシェII型はすでに手の中だ。
愚かな真似をしようものなら、脳天を打ち抜くのもためらう気は無い。
あのケースの中身をどうにかしてようモノなら。
我知らず、手に力が入る。
が、すぐに気付いて、深呼吸をする。
焦れば相手につけ入られるスキをつくるコトになる。
いつも以上に、冷静でなくてはならない局面だ。
後、5秒。
数歩、後ずさる。
後、3秒。
腕を、持ち上げる。
2、1、0。
同時に、右手人差し指に力を入れる。
ちょうつがいは三カ所、鍵は一カ所。
余裕で壊し、体重がかかるように蹴りつけてやる。
案の定、轟音の誘い出されたバカが近付き過ぎて、扉の下敷きになっていく。
扉の重量で充分だ、とは思ったが、一応思い切り体重も乗せてやる。
情けない声が聞こえてきたので、しばらくは大人しいだろう。
視線は、すでに真ん中に集中している。
駿紀の隣にいるのが、余計なことをしているバカだ。
最前、二人の間で何があったのかは一目瞭然だ。
なんせ、駿紀の口には注射器がある。
アレをバカに手にさせては厄介だ。
かといって、すっかり侵入者に気を取られているようなバカなぞ、脳天を打ち抜く価値は無い。軽く血を見る程度で充分に怯えるはずだ。
と考える間に、バカの腿に一発掠める。
尻餅をつきながら、銃弾が貫通したような悲鳴を上げるが、ほんの微かに掠めただけなのは出血を見ればわかる。
「うあ、あ、あ」
まるで、透弥を鬼か悪魔かのように見開いた目で見てくるのが、実に不愉快だ。今まで、何人もイタぶってきた癖に。
案の定と言うべきか、予測通りと言うべきか。 自分の身を守りたいと思ったのか、いつものクセなのか、恐怖を顔に浮かべながらもバカがナイフを手にする。
コレも、予測の範囲内だ。
ごくあっさりと、ナイフの刃を弾いて跳ね飛ばす。
腕自体はケガさせていないが衝撃は充分に伝わったのだろう、バカは腕を押さえながら裏返った声を上げる。
「こ、殺す気か?!」
我知らず、透弥の眉が寄る。
なんて甘いコトを言うのだろう。
「そんな簡単に楽にしてやる訳が無いだろう」
「ひ、あ。う、ああああ」
抑揚無く言い放った言葉に何を思ったのか、バカは悲鳴ともなんともつかない酷い声を上げる。
この調子なら、余計な真似はしないだろうが、万が一の可能性は考えた方がいい。
しばし、大人しくさせておくのが得策だ。
ダミ声じみた悲鳴を聞かせ続けられるのも、実に不愉快ではあるし、酷い表情からは断定不能だが、背格好からしてメルティ密造販売組織の首領のハズだ。
とっとと目前まで近付くと、告げてやる。
「ともかく、今は黙っていろ」
銃の台尻を振り下ろすのと同時に、膝も入れてやる。
「ぐぇ」
それこそ、何が潰れたのかという声を発して、バカは転がり落ちる。
これで余計な連中は片付いた。
銃をホルスターにしまいながら、駿紀の方へと振り返る。
驚いたのか、いくらか目を見開いたまま透弥を見つめている駿紀は、まるで動くことを忘れてしまったかのように微動だにしない。
生きている証は、瞬きくらいだ。
訊きたいことは、確認したいことはいくらでもある。だが、今はそんな時では無い。
口にくわえっぱなしの注射器、これが三回目のモノだ。
それだけは、妙に確信出来る。
駿紀のコトだ、新鮮なメルティがあれば中和剤が出来ることを忘れるはずが無い。投与が二回目までなら、一回で中和完了になることも。
夢中で行動した結果が、コレなのだろう。
実に、駿紀らしい。
透弥が絶対に約束を守ると信じているあたりが。
正確にカウントダウンし続けて、0で透弥が現れると信じていることが。
メルティが、駿紀にだけ効かない訳が無い。
なのに、一言もこぼさなかった。
こんな意志の強さも、持ち合わせているのは駿紀くらいだ。
ああ、本当に。
なにもかもが駿紀らしい。
ひとまず、彼が命の危険を犯して守ったモノを安全な状態にすべきだ。
バカの手元に落ちていたケースを拾い、駿紀へと近付く。
まだ、駿紀は微動もしない。
きっと、注射器を割ってはいけない、という一心だけだ。
ただ、命を守るためならば、取り上げて投げ捨てて割れば良かったのに。なのに、駿紀はそうしなかった。
駿紀にしか出来ないことだ。
「もう、いい」
力を抜いていいんだ、と言っても通じるかどうかわからずに単純な単語を選ぶ。
駿紀の視線が揺れる。
驚いたらしい。
が、少しの間の後、口元が緩む。
過たず受け取った透弥は、注射針に保護剤を被せてケースへと入れる。軽く確認するが、割れてはいないようだ。
中和剤が確実に出来るという事実より、なにより。
駿紀の命が危うくなるような状態になっていないことに、心底ほっとする。
だが、息を吐いていい訳ではない。駿紀を安心させる為に、言う。
「大丈夫だ、コレで中和剤が合成出来る」
駿紀の表情は動くがほっとする様子は無く、むしろ、手を上に上げた透弥の行動に戸惑ったような顔つきだ。
それから目線を逸らし、戒められている腕を見上げる。
硬く縛られているが、手で緩められないほどでもなさそうだ。
体重がかかったせいだろう、痛々しい痕がついている。
ぽかん、としていた駿紀の表情は、数度の瞬きの後、みるみる目が見開かれていく。
どうしたのか、と考えてる間に、縄が解ける。
途端に、ぐらり、と駿紀の身体が揺れる。
反射的に身体を支えると、駿紀は透弥の肩に額を乗せる。
あまり自分で体重を支えていないことに、どきり、とする。
いくらか焦って支え直しつつ、思わず確認する。
「隆南?ケガしたのか?」
その声に反応するように、びくり、と駿紀の肩が揺れ、手が伸びて透弥の首に腕ごと回る。
「おい、隆南?」
メルティをやられて大丈夫な訳は無いと気付いて、その単語はかろうじて飲み込む。が、そんなことに気付いた様子は無く、駿紀の肩がまた揺れる。
「…………」
微かな声が聞き取れず、透弥はもう一度尋ねる。
「隆南?」
「神宮司」
滲んだ声が返ってくる。
「神宮司、神宮司」
子供のように繰り返す声で、泣いていることに気付く。
ヤクのせいで、感情が不安定になっているのだ。
ああ、何を冷静に分析などしているのだろう。今は、そんなのに意味は無い。
「神宮司ぃ」
まるで他の言葉を忘れてしまったかのように、駿紀は透弥の名を繰り返している。
透弥は、実に間抜けなことに、ただ身体を支えているだけだ。
今の駿紀の感情は子供と変わらない。
こんな時でさえ、冷えた部分がそう解析して返す。
バカか、俺は。
透弥は自分で自分を罵りたくなる。
幼い頃は、自分だってこんなことくらいは絶対にあったはずだ。
両親は、そんな自分を慰めてくれたはずなのに。
なぜ、記憶が無いのだろう。
なぜ、何もかもを忘れてしまったのだろう。
なぜ、思い出せないのだろう。
ああ、この自問自答も意味が無い。どうしても思い出せないのは自分がイチバン知っている。
駿紀はまだ泣いている。
自分の名を呼びながら。
記憶が無いのなら、思い出せないのなら。
考えろ。
自分が出来ないというなら、そうだ、駿紀ならどうするか。
子供が泣いていたなら。
「神宮司」
また、名を呼ばれる。
軽く、背を叩いてやる。本当に来るかわからない透弥を待って、一人頑張り続けてきたことへの感謝をこめて。
「もう、大丈夫だ」
ゆっくりと背を撫でる。
「全部終わったから、大丈夫だ」
微かに揺れていた肩の動きが、小さくなる。
透弥は、そっと続ける。
「だから、安心して眠っていい」
途端に、駿紀の腕に力が入る。そして、肩に伏せたままに首が横に揺れる。
イヤだ、という仕草に透弥はもう一度、背を軽く叩いてやる。
「大丈夫だ、どこにも行かないから」
ほんの少しだけ、腕の力が緩む。
透弥は、言葉を重ねる。
「側にいるから、安心していい」
がくん、と力が抜けた身体を、ぐ、と足に力を入れて支え直す。少々無理矢理に背に負う。
周囲を見回すと、まだ二人の男はのびたままのようだ。
これだけの時間が経っても相手方の応援が来ないということは、葉山班の突入は成功したと判断していい。
近付いて来た足音は、すでに知っているモノだ。
透弥は、背に負った駿紀の顔が伏せたままなのを、ちら、と確認する。
顔を出した葉山は、透弥たちを見て息を吐く。
大きく肩が揺れているあたり、そうとうに急いでここまで辿りついたのだろう。
「合成直後のメルティを入手しました。薬学研究所に回します」
透弥がきっぱりと告げた言葉に、葉山は一瞬目を見開くが、すぐに頷く。
「ああ、頼む」
「では」
軽く頭を下げて、歩き出そうとした透弥へと葉山は何か言いたげに口元を動かす。
が、付き合うのは突入までと言い切った透弥に、了解したのは他ならぬ彼自身だ。ウチの後始末はウチでやる、と譲らなかったのを今更何も言えないらしく、無言のままだ。
「書類は、少々遅れますがご了承下さい」
更に告げると、透弥は駿紀を負ったまま、ゆっくりと歩き出す。

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