□ 霧の音待ち □ glim-11 □
[ Back | Index | Next ]

-11月09日 01時09分
天宮の屋敷に裏口から到着した透弥を、眉ヒトツ動かさず、榊が出迎える。
「お疲れ様です。こちらへ」
案内された先には、約束通りに扇谷が待ち構えている。
ベッドに駿紀を下ろし、もう一人へと向き直る。
半ば呆れたような、面白がっているような顔つきで正岡が片手を出す。
「トーヤくん、もちろんガッカリさせたりしないよね?」
「当然です」
平静に返すと、胸ポケットに仕舞い込んでいたケースを取り出して差し出す。
「注射器に込められた状態です」
にやり、と口の端を持ち上げてケースを受け取った正岡は、パチン、と音を立てて開ける。
「で?」
「長くて一時間十分です」
「トシキくんの活躍のタマモノってとこだね?じゃ、ちゃっちゃと元に戻ってもらわなきゃな」
ケースを片手に、透弥が入って来たのとは逆の扉へと向かう。
「ウワサには聞いてたけど、アマミヤって面白いねぇ。ウチまでの直通通路とかあるなんてさ。ま、ちょっと待ってて」
軽く手を振って、扉の向こうへと消える。
扉の閉まる音を待っていたかのように、扇谷が呼ぶ。
「透弥くん、目を覚ますよ」
言う間に、駿紀が見開くようにまぶたを開ける。
「神宮司?」
「ここにいる、大丈夫だ」
覗き込んでやると、安心したように息を吐いてから、眉を思い切り寄せる。
「ヤクなんてやるヤツの気がしれないよ、こんな気持ち悪いのに」
「あと、少しの辛抱だ」
ベッドの側についた透弥の腕を、子供が何かにすがるような仕草で駿紀は掴む。
「少しって、どのくらい?少しのはずなのに、すごい長かった」
自分の顔が泣きそうに歪んだのがわかったのか、扇谷が手当てしたばかりの腕で顔を覆う。駿紀から見えないのをいいことに、透弥は微かに眉を寄せる。
「ああ、そうだな。長かったな」
自分の腕を痛いくらいに掴んで離さない手を、あやすように軽く叩く。
「俺も、長かった」
「本当に?」
「ああ」
少しだけ身を乗り出して尋ねてくるのに、出来るだけ柔らかない表情になるようにと心がけながら頷き返す。
本当に、長かった。
駿紀の勘の良さは、誰にも敵わないだろう。安全の為に必要な方向を無意識に見つけ出してくれる、と信じてはいた。
それでも、コチラが予定通りに運ばなければ、なにもかもが無駄になる。
少なくとも、駿紀の安全という面では。
可能な限りの手は打ったが、それでも。
あまりに危険度の高い賭けだった。
「二回だけだな?」
メルティが残ってる状態でも、駿紀には、言葉足らずな透弥の問いの意味を正確に取る。
「三回目はマズいから」
いくらか大きめの息を吐く。
吸引では無い可能性は考えていた。いや、捕えた刑事を落とすのなら、皮下注射だという確信があった。
間違い無く、命の危険にさらしたのだ。
止むなくではなく、故意に。
「……そうだな」
思ったことが滲んだ声に、駿紀は不安そうに顔を歪ませる。
「駄目だったか?」
「いや、二回で済んで良かった」
我に返って、すぐに表情を緩める。
今、出来ることと言ったらメルティのせいで感情が子供と同じように不安定になっている駿紀を、安心させてやるくらいだ。
後は、現実でどんなに短いのだとしても、長く感じるだろう間に、気を紛らわせるくらいか。
「腕は大丈夫か」
言われて、初めて気付いたように自分の手首に視線を落とした駿紀は、やはり困惑顔だ。
「痛くないけど、また祖母ちゃんが心配する」
「今度の上司は大げさなんだ、と言っとけ」
自分の体重を手首だけで支えていたようなモノだから、傷はともかくメルティが抜けた後は痛みもあるだろう。
だが、それは今言うべきコトでは無い。
「ああ、総監は大げさだよな、話も身振りも」
「その上、いらんほどに長い」
苦笑気味に返してやると、駿紀は大きく頷く。
感情が妙に振れるくらいで、メルティが欲しくて欲しくて仕方ないということは無さそうだ。
二回で済んだということもあるが、何より駿紀の意思の強さのタマモノだろう。
その分、0時に行くと約束した透弥のことを考え過ぎて、そちらへと振り切れ気味なだけで。この程度で済むのなら御の字だ。
「駿紀くん、口元切れたでしょう?」
扇谷が、柔らかく口を挟む。
「え?あっと、ああ、と。そういえば、殴られた、かも」
よほど必死にメルティのことと突入時間までのカウントダウンをしていたのだろう、言われて気付いたという顔つきだ。
「あ、そうだ。顔に痕があると後の仕事が面倒だって思ったんだった」
「消毒しておこうか」
扇谷の手がお疲れさん、とでも言うように駿紀の頭を、ぽんぽん、と乗せられる。駿紀は、気持ち良さそうに目を細める。
「父さんみたいだ」
「それは光栄だ」
笑みを大きくして見せてから、扇谷は駿紀の口元へと手を伸ばす。
「ちょっと染みるよ」
「はい」
素直に返事をして、じっとしてると本当に大きな子供のようだ。手早く消毒する扇谷の邪魔にならないよう、透弥は一歩引く。
その気配に気付いたのか、駿紀が大きく目を見開く。
「どっか行くのか?」
「行かない、大丈夫だ」
駿紀は安心したらしく、また大人しく扇谷へと向き直る。
「よし、これでいい。他にケガは、してないかな」
「と、思います」
なんともあやふやな返事に、透弥は小さく肩をすくめる。
「隆南、靴下脱いでみろ」
「靴下?あ、悪い、ベッドの上なのに」
何やら微妙に勘違いしたようだが、駿紀は大人しく靴下を脱いでみせる。
顔を殴ってくるような連中だ、先ずは足を狙うだろうと踏んだのだが、案の定だ。すねのあたりが青黒ずんでいる。
「おや、これはいい色だね。念の為に湿布しとこうか」
扇谷は透弥が何を思ったのか理解していたらしく、準備良く湿布を取りだす。
左足に湿布をされている間に、駿紀は大人しく右足も見せてみせる。
どうやら相手が右利きだったらしく、左ばかりが狙われたようだ。右足はなんともなさそうだ。
「大丈夫だな」
「そっか、良かった」
そうだな、とだけ返した透弥に、駿紀は腕を持ち上げて尋ねる。
「こっちは?」
「大丈夫だが?痛むのか?」
「いや、神宮司が大丈夫って言ったら、本当にそうなんだって思って」
妙に嬉しそうに笑いながら、駿紀は言う。
「だって、本当は無理なはずの0時に来てくれただろ」
0時に突入開始なのだから、奥まったあの部屋まで辿りつくのは、葉山が駆けてきたあの時間が最速だったろう。
駿紀も、そのくらいな覚悟はしていたのだ。透弥も、それを考えなかった訳ではない。だが、Le ciel noirが可能な限りのサポートをすると言ってきたからには、危険にさらす時間は可能な限り短い方がいいと判断した。
何より、駿紀が自分が行くと言い張って譲らなかった理由は、透弥の記憶のことを考えたからだと察しがついていた。メルティの影響でまた記憶が消えたり、歪んだりということが起こりうると思ったのだろう。
だが、それを口にするのはヤボだ。
「約束したからな」
「凄いよ、神宮司」
メルティを二回もうたれたのに、何一つもらさなかったらしい駿紀の方が凄いと透弥は思う。諦めなかったことも、透弥を信じ続けたことも。
なのに、そういうあたりに思考がいかないのは、ヤクが入っていようと駿紀らしい。
「凄くは無い」
「俺にとっては凄いよ」
一瞬、視線が落ちたのに、思わず眉を寄せる。が、すぐにまっすぐに透弥を見上げる。
「ありがとう」
いつもの駿紀の笑顔に、透弥は思わず瞬きをする。
「隆南」
もう、駿紀の顔はどこか子供っぽいモノに戻っている。
「早く、薬出来ないかな。皆に迷惑だよな」
「迷惑な訳があるか」
思わず返すと、駿紀は苦笑する。
「だって、どう考えても俺おかしいよ」
色々と口走っている自覚はあるのだろう。
「安心していいよ、ここには透弥くんと私、それから正岡くんしかいないからね」
「なんか、すごい人ばっかりですよ」
駿紀が返すと、扇谷は笑みを深める。
「友人と、お父さんだと思っておけばいいよ」
「じゃあ、トシキくんのお兄ちゃんがいいなぁ、オレ」
にんまりと笑って登場したのは、正岡だ。その目ははっきりとした光を宿している。手には、小さなアンプルだ。
「トシキくん、お待たせ、出来たよ」
駿紀は、ぽかん、と目を見開いてから。
「本当に少しだった」
と、ぽつり、と言う。
正岡は、にんまりと笑みを深める。
「先にきっちりと情報くれてたからね。トシキくんのおかげだよ。じゃ、オーギダニせんせ、よろしくお願いしますよ」
「ああ、わかった」
医療鞄から注射器を取り出すと、手慣れた調子で吸い上げる。
「隆南」
透弥が腕まくりをすべく手を伸ばすと、少しだけ身体が引く。
「大丈夫だ」
何度目かわからない言葉を繰り返す。
「元に戻るのに、必要なモノだから」
「わかってる」
微妙にこわばったままの腕に、扇谷は手際よく消毒していく。
「予防注射は不得意だったかな」
なぜ、こわばるのか知っているはずだが、柔らかに言われると、駿紀も苦笑する。
「そうですね、見ていられない方でした」
「えー、じゃ、お兄ちゃんとにらめっこするー?」
正岡が、ひょこん、と首を伸ばすのに、透弥が眉を寄せる。
「笑わせて、どうするんですか」
「え、俺が笑うかもしれないよ?」
などと言っている間に、本当に注射は終わってしまう。
「はい、おしまい」
扇谷が、小さな綿を渡してきゅ、と押す。
「透弥くん、五分抑えておいてあげて」
「はい」
素直に駿紀の腕を取る。おおよそ、この後の展開は読めている。
「トシキくん、これから眠くなるよ」
正岡が、興味深そうに覗き込みながら言う。
「身体の中で、中和するからさ、それなりに体力いるんだよねぇ。ま、トシキくんなら問題ないとは思うけど。眠くなったら寝ちゃうのがおススメだよ」
話を飲み込もうとしているのか、数回瞬きをする。
「もうちょっと様子見たかったけど、時間切れだなー。んじゃ、トシキくん、トーヤくん、またね」
ひらひら、と手を振ると、駿紀たちが口を開くまもなく、正岡は部屋を後にする。
その後姿を見送ってから、扇谷が駿紀を覗き込む。
「うん、ま、熱も無さそうだし、大丈夫でしょう。何かあったら連絡入れてくれれば、すぐに来るから。そうじゃなくても、ちゃんと様子は見に来るからね」
ぽんぽん、と駿紀の頭を撫でるように触れてから、扇谷も立ち上がる。
「ありがとうございました」
言った駿紀の声が、少しくぐもっている。もう、眠気がきたのだろう。
「じゃあ」
軽く手を振り、扇谷も部屋を後にする。
透弥は時間を確認するために、時計に視線を落とす。
「後、二分で止血も終わるから、寝た方がいい」
「うん、寝るけど」
眠そうながら、駿紀が不安そうに透弥を見やる。
「大丈夫だ、いるから」
「ごめん、寝るまででいいから。何がって言われると困るんだけど、なんか嫌な感じがして」
困った表情になる。
「一人でいると、歯止めが利かなくなって、自分が自分でなくなるようなことをしそうで」
「落ち着くまでは、ここにいる」
「でも」
苦笑を浮かべて見せてやる。
「途中で目が覚めて、暴れたくなったりでもしたら、止められるのは俺くらいだろうが」
「そっか、それもそうだ」
困ったような顔のまま、口元に笑みを浮かべる。
多分、扇谷と正岡がいるとわかっていたから、それなりに制御していたのだろう。
弱音も、あれで我慢していた訳だ。
「よし、五分だ」
綿をはずして、小さなばんそこを貼ってやる。まだ、ほんの少しくらいは出血するだろう。
「変な感じだな」
駿紀は小さく笑う。
「メルティやられた時だって、血は出たはずなのに」
「こちらはまともな薬だからな」
透弥の答えに、駿紀の笑みが大きくなる。
「そうだな」
「横になってろ」
「命令するなよ」
唇を軽く尖らせながらも、ネクタイをはずして大人しく横になる。
同時に、大きなあくびが出る。いくらか、まぶたも落ちる。
もう少ししたら、眠るだろう。
そう、透弥が思ったところで、駿紀は目を見開く。
「そうだ、神宮司」
「どうした?」
「俺、ずっと思ってたんだけどさ。忘れたのは神宮司のせいじゃないよ。もし、万が一とかで、そうだったとしても、絶対に必要だったからだ」
薄手の毛布をかけてやろうとしていた手が、中途半端な形のまま止まる。思わず、目を見開く。
もうすでに、駿紀の目は、とろり、としてきている。
凍りついたようになっている透弥のことが、視界に入っているかどうかは怪しい。
「だって、神宮司が誰かの思うツボにハマりっぱなしって、あり得ないからさ」
くぐもった声で言うと、その後は寝息になってしまう。
我に返って、透弥は毛布をかけてやる。
それから、枕元にある椅子に、落ちるように腰掛ける。上向いた額に、手を乗せる。
苦い笑みが、口元に浮かぶ。
もし、駿紀が言う通りに、忘れることが必要だったのだとすれば、それは己の命を守る為、ただそれだけだ。
その為に、父を殺した犯人を忘れ、父を忘れ、捜査のことも、それ以前の過去のことさえ。
そこまでの記憶消去が必要だなんて、どれだけ自分は生に執着していたというのだろう。
思い出そうと、思い出しそうになる度に、こみ上げる激しい吐き気は、もしかしたら思い出さない方が自分の為というシグナルではないのか。
思い出せないのではなく、思い出したくないだけでは、ないのか。
考えに沈みかかった首を、思わず横に振る。
今は、そんな場合ではない。本番は、ここからだ。
駿紀が自制を止めた状態になる、今からだ。

[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □