□ 駆けて聞くは遠雷 □ blank-4 □
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ソレが出来れば、と駿紀も思ったことはある。が、そこそこの距離でも聞こえてしまうので、本気で身につけようとしたことは無かった。
「やっぱ、役立つんだな」
ぼそ、と呟くと、透弥は表情を変えないまま返してくる。
「見えなくては意味が無い。隆南の耳の方が断然役立つ時もあるのと、同じだ」
あっさりと返す目には、小さな双眼鏡だ。
「まあ、人よりは聞こえるけど、窓挟まれるとさっぱりだ」
などと余計な口を聞いていられるのは、追っている杉本の表情がはっきりとうかがえるからだ。
細かいニュアンスは、読唇術が出来る透弥に任せるしかないが、現状の状況を把握することは出来る。
「陰にこもった営業なんて、先方も会いたくないよな」
「仕事は充分に出来ると言っていい、交渉内容も先方も気遣ってる」
「だろうな、相手方の表情もイイよ。ま、強気は強気なんだろうけど」
「ガイシャの営業能力が突出していた、というのが妥当だろう」
「だけど、成績が一位で無いことを上司に責め続けられてた、か」
この点、職場の同僚も後輩も異口同音に認めている。周囲が固められてしまっていたせいか、責めていた当人である上司も、ハッパをかけていただけだとは言っているものの、認めている。
透弥が、双眼鏡を下す。
「契約成立」
「鮮やかなもんだなぁ」
つい、感心してしまう。
それなりの時間はかかっていたが、それは書類上の手続きの問題で話自体は実にスムーズだった。
ややしてから、また次の取引先へと向かう杉本を追う。
効率的にアポイントを取っているらしく、さほど移動すること無しで次の取引先だ。
さすがに相手会社の中に完全に入られてしまっては内容までは追えないが、出てきた時の表情からすると、結果は悪くないらしい。
颯爽とした足取りで、次へと向かう。
杉本自身がオープンな場所で話すのが好きらしく、アポイントのほとんどは意外と駿紀たちが把握しやすい場所で行われる。
「そんだけ自信あるってコトだよな」
「歩き方からしても、自分の仕事に自信があることには違いないが、オープンな場所を選ぶのは自制にもなるからだろう」
「歩き方って言えば、ちょっと足悪いみたいだ。左足を少しひきずってる」
「そんな記述は無かったが」
透弥の眉がいくらか寄っているのは、見なくてもわかる。駿紀も杉本から視線を外さずに返す。
「俺も、スポーツやってるって聞いてなきゃ気にしなかった」
「では、運動には支障があると?」
「いや、ずっとああなら問題無いと思う。最近ケガしたっていう証言無かったし、大丈夫なんだろ。それより、やっぱりオープンスペースで相手もあるって思うとスゴイんじゃないか?」
交渉が不調になれば、言葉も空気も悪くなるだろうに、周囲の目線があっても大丈夫ということになるのだから。
もちろん、機密には充分配慮しているのだろうが。
また、よく見える場所で交渉をしている杉本は、順調に話を進めているらしい。
今度は、駿紀の耳なら充分に聞ける範囲だ。
「前向きに検討、だとさ」
前向き以上の成果が得られそうなのは、相手方の表情から充分に伺える。
駿紀は、首の後ろに手をやる。
「タフだよなぁ、なんつーか。周り皆疑ってる状態だろうに」
「疑うなら取引先は商談には応じない。それだけ信頼が篤いということだ」
「事件は新聞に出てるんだよな?」
「管制していないから、当然出ているだろう」
移動を始めた杉本の後を追いはじめながら、駿紀はもう一度首の後ろに手をやる。
「取引関係会社の名前が出たら、当然、気をつけるよな」
「全員とは言わないが、通常は」
「それでも、交渉相手になってる」
「疑われていないからだ」
透弥のきっぱりとした言葉に、駿紀は軽く唇を尖らせる。
「オープンな場所での交渉が多いのは、警察が多かれ少なかれ探ってると知っているからとしても」
「自分の潔白にか、完全犯罪にか、どちらかに完全な自信を持っている」
「よな、アレは」
そこまでで、駿紀は口をつぐむ。透弥の視線も、別方向に移る。
小池班から尾行交代要員が到着したのだ。
視線で事件への手掛かりは無いコトを伝えると、尾行から外れる。杉本からも、交代して尾行を始めた小池班の刑事たちからも充分に離れてから、駿紀は透弥を見やる。
「どう思う?」
透弥の返事は、軽く肩をすくめただけだ。自分から言え、ということなのはわかったので、駿紀は今日何度目かわからないが、首の後ろに手をやる。
「杉本一人しか見てないから、言い切れない」
「のを、俺に押し付けるな」
「じゃ、次はタキグチコーポレーションだな。上手く、何人か会えるといいんだけど」
前を向いていた切れ長の視線が、駿紀へと向く。
「ある程度の間が空いているから、再聴取を提案するのが早いが」
透弥が、昨日の書類の日付を覚えているくらいは、もう驚かない。それよりも、この次どうするか、だ。
「派手にやる前に、警備員に何気なく聴く方がいい」
「専門職であれば、それなりの鑑識眼がある、か」
駿紀の提案に、透弥も反対はしない。



「コチラの警備員の方が、実に優秀だと伺いまして」
脊髄反射フェミニストな笑みの透弥に言われ、疑いなどは寸分も浮かばなかったらしい。警備員の鎌田は照れくさそうな顔つきに微妙になりつつ、もごもごと浮かびかかった笑みを飲み込もうとしている。
戻って確認したところ、ちょうど昼間の担当に事件当日の当直警備をしていた鎌田が入っていた。しかも、夜間の要員に交代したばかりだという。まさに、おあつらえ向き、という訳だ。
「え、そうですかね。いや、その、お役にたてればいいんですが」
年は駿紀たちとそうは変わらないと思われる鎌田は、いくらか頬を紅潮させて駿紀たちへと視線を向ける。
「参考までに貴方の場合を教えていただければ構いません。このビルに出入りしている人のどの程度を見分けられますか?」
透弥の問いに、鎌田は何度か瞬きをする。
「え、基本的には社員証とかの身分証を確認してます。前に泥棒が入ったコトがあって、このビルに入居している人のは写真が大きいんです。視線の早さが求められますけど、ほぼ確実に確認出来てると思います」
そこまで言って、求められている回答とは異なるらしい、と気付いたようだ。
少し視線をさまよわせてから、あ、という顔つきになる。
「でも、タキグチコーポレーションの営業部の人たちだけは別です。身分証が無くても、覚えてます」
「特定会社の、特定部署の人たちだけですか?」
透弥が、確認の意味を込めて少々ゆっくりと確認するのに、勢い込んで鎌田は頷く。
「はい、週に最低二回、早朝ミーティングがあるんです、それで」
「少人数だからですか?」
「それもあるんですけど、その」
なぜか少しだけ、視線が逸れる。
「あの、皆さん、挨拶してくれるんです。俺の方見て。だから覚えました」
覚えました、のところで視線が戻ってくる。
小池たちに自信を持って朝の出入りを証言出来たのは、理由があった訳だ。ビルの景色のヒトツとして扱われがちな警備員たちにとって、きちんと人として認識し、挨拶してくれる存在が特別になるのは想像に難くない。
「なるほど」
納得しつつ頷き返した駿紀たちに、馬鹿にする様子が無いと安心したのか、鎌田は言葉を継ぐ。
「佐野さんと杉本さんは、名前も覚えてくれてます」
確かに、鎌田の胸元には名札がある。が、急いで出勤してきて、そこまで目線が行くのはなかなか無いに違いない。トップレベルの営業をしてのける二人だからこそ、だろう。
そこまで言って、少しだけ困ったように眉を寄せる。
「あの、俺のこと言ったのって、佐野さんの事件のとこの刑事さんたちですよね?」
話の進行上、その点はバレて仕方が無いことだ。
「ええ、そうです」
あっさりと肯定した駿紀に、真剣な瞳が近付く。
「杉本さん、大丈夫なんですよね?だって走るのとか無理ですよ、足ケガしてるのに」
「へ?」
「ケガを?」
思わず同時に声を上げてしまう。さんざ聞き取りしたと言っていたのに、杉本が足にケガをしていたなど初耳だ。
駿紀と透弥が一度に驚いた声を上げたものだから、鎌田もぽかん、と目を見開く。
ややの間、二人を見つめてから。
みるみると、慌てた顔つきになっていく。どうも、うっかりと口が滑ったらしい。
「あ、いや、えっと。ああ、あの、すみません、ココだけってことにして下さい。タキグチコーポレーションで、前に無理して外回りして杖無しでは歩けなくなっちゃった人がいたそうで、ケガとか病気とかあると、あんまり外に出られなくなるんだそうです。なので、あの、言わないでほしいって」
「杉本さんから?」
駿紀が尋ねると、困り顔のまま、鎌田は頷く。
「は、はい」
「貴方は気付いたんですね?」
「たまたまです。俺の前で、慌ててた人に足を踏んづけられちゃって、あんまり痛そうだったんで、それで。趣味で運動してる時にやったから、恥ずかしいし言わないでくれって頼まれました」
事情を話せば駿紀たちが秘密にすることに同意すると思ったのか、鎌田は必死の様子で言う。
「それは、いつのことですか?」
「事件の、一日前です。ひねったとかで足首も腫れてました」
「そうですか。ええ、留意します」
爽やかな透弥の笑顔に、承知してもらえたと判断しただのろう。鎌田も頷き返す。
相変わらず脊髄反射フェミニストの笑顔は、男にも有効なんだな、と感心しつつ駿紀は話を戻す。
「タキグチコーポレーションの営業部の人は、皆挨拶をするわけですね?」
「ええ、たまにしないで行く人もいますけど、皆です」
挨拶をしてくれる特別な人々というコトになると、もしかして、だが。
「来る順番も、決まってます?」
「当番の課の方が先に来るので、2パターンですね。皆さん、早朝だけに電車が限られてるんだと思います」
「それも、覚えてらっしゃるんですか?」
感心したように問う駿紀に、照れ笑いで鎌田は頷く。
「言い方は悪いですが、面白いくらいにいつも同じなので。あの日は一課の方が当番の日で」
と、佐野、その上司、後輩、同僚と名前が挙がっていく。
「で、杉本さんで、あ、そうだ、あの日は中島さんが遅かったんです」
中島松雄、現状、被疑者と目されている杉本の上司の名だ。
「そうなんですか?」
「救急車の後だったので。いつもなら、杉本さんよりちょっと早いです」
言う際の微妙な表情を、透弥は見逃さない。
「たまに挨拶しない人が、中島さんですか」
「あ、はい、そうです」
察しの良い刑事たちに隠しても仕方が無い、と割り切ったのだろう。鎌田は気まり悪そうな表情になりつつ、頷く。
「遅くなったからか、ものすごく急いで走りこんでいきましたんで、あの日は仕方ないですけど」
「なるほど、これだけしっかりと覚えていていただければ、捜査する立場としては助かりますね」
透弥に言われて、鎌田は照れくさそうに首の後ろをかいている。
「他の人も、それくらい覚えていられたらイイんでしょうけど」
「ですが、不審者かどうかは見分けていらっしゃるでしょう?」
最初の質問に出戻ったのだが、鎌田は嫌がる様子なく答える。
「ええ、基本的には身分証を持っているかいないか、ですね。後は、目つきとか表情が何かおかしいですから」
「なるほど」
と、頷き返す駿紀にあっていた視線は、いくらか宙に浮く。
「でも、あの日はそういう人はいなかったですね……」
おそらくは、小松たちに何度も尋ねられ、鎌田自身も何度も思い返したコトなのだろう。半ば独り言に近いソレに、今日はこれ以上は引き出せない、と確信する。
「そうですか。参考になりました、ありがとうございます」
「また、ご意見を伺うこともあるかと思いますが、その際にはよろしくお願いします」
「俺で役立つんでしたら」
丁寧に頭を下げられて、鎌田は悪い気はしなかったのだろう、照れくさそうな笑みを大きくする。
もう一度、丁寧に頭を下げてから、駿紀たちは坂上ビルを後にする。
相談無しに、地下鉄駅では無くて中央公園へと向いたのは現状の確認をしたかったからだ。
「杉本が、足でアリバイを作ったって線は薄くなったな」
「ホシは、社内に精通していてガイシャの顔見知りだ。でなければ、真正面からの襲撃に少しは抵抗したはずだ」
駿紀の言葉を否定せずに、透弥は事実を返す。
「もう一度、社内の人間関係洗い直した方が良さそうだ」
「場所を署内に設定できると、なおいい」
「警察署だと、緊張しないか?」
基本的に、問い詰める為に使用されることが多い。そこに呼び寄せたら、聴ける話も聴けなくなるのではないか。
「今回は逆だ。絶対に会社の人間には聴かれ無い状況を作ればいい」
「あー、そういうコトか。鎌田さんには悪いけど、杉本が足にケガしてたっての、少なくとも小池さんたちに言わない訳にいかないからなぁ」
「洗い直し自体には、反対しないだろう」
「ってことは、東署だな」
駿紀の言葉と同時に、二人の歩く方向が変わる。

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