□ 駆けて聞くは遠雷 □ blank-5 □
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杉本が足にケガを負っていた、という事実は小池たちには何度目かの衝撃だったらしい。
もう一度、被害者の社内での人間関係を洗い直してみてはどうか、という提案は、ごくあっさりと通る。場所を署内に設定することも、透弥が述べた理由ですぐ納得される。
その後の手配は素早いモノで、あっさりと翌朝からの再聴取の準備は整った。

「朝からご足労をおかけして申し訳ありません」
ごく丁寧で低姿勢だが、今までの所轄ではなく警視庁の刑事と名乗られて、発見者である三浦直太郎は明らかに硬くなっている。
「いえ……」
と返してきただけで、駿紀と透弥を探るように見つめている。
「直にお話を伺いたいというだけで、他意はありません。繰り返しの質問になりますがご協力下さい」
透弥にごく丁寧に言われても、はあ、と中途半端な返事をするばかりだ。そんな三浦へと、駿紀が最初の質問をする。
「最初に発見されたのは、三浦さんだそうですね」
「あ、はい」
所轄の刑事たちが何度も訊いた質問に、いくらかの安堵と拍子抜けしたような顔つきで三浦は頷く。
「会議の進行役が杉本と私だったんです。電車の都合で、いつも私の方がいくらか遅くなるので、出社して鞄を置いてすぐ、急いで行ったんです」
「お一人で?」
「はい、前田が、あ、佐野が指導してる後輩なんですが、追加の資料の印刷が終わりきっていなかったので」
そこらへんの記憶はしっかりとしているらしく、迷いも何も無くはっきりと言い切る。
「どこを通ったか、覚えていますか?」
「覚えるも何も、いつも同じです。居室出てすぐ左手に階段があって、そこを降りるのが会議室への最短です。皆、そこを使っています」
迷いようが無いと言い切った三浦は、そこで言葉を切る。
「会議室へ行く階段は他にも?」
「いつも使っているモノの廊下反対端にあります。居室からは完全に遠回りになるので、社内の人間はまず使いません」 駿紀は、問いを続ける。
「会議室に向かう途中、誰かとすれ違いましたか?」
「いや、誰も」
はっきりとした返答は、急いでいたにしろ間違いでは無いだろう。
「では、急いで会議室に行って、それから?」
口にするより先に映像が浮かんだかのように、ぎくり、と三浦は目を見開く。
「扉開けたら佐野がのけぞって来たんで、驚いて肩ひっつかみました。最初は寄っかかって考え事でもしてたとこ開けたかと思って、でも謝っても返事ないから過労でひっくり返ったかと」
そこまで言って、唇を噛みしめる。
「そうこうしてたら前田が来て、どうしたんですかって言うから、救護室運ぶの手伝えって言ったんです。前田は、近寄って来るどころか後ずさってしまって、で、血って言うんで、その時に佐野の腹から血が出てて、なんか刺さってるって気が付きました」
言い終わる頃には、視線が落ちて肩が微かに震えている。
「それから?」
「救急車って言って、前田が走ってたの見てから、大丈夫かって佐野に声かけました。でも、返事無くって。俺のハンカチで傷押さえてみたんですけど、全然血が止まらなくて……」
その時の状況を思い出したのか、三浦の肩の震えが大きくなる。
「荒木課長が来て、一緒に佐野のこと呼んでました。あと、前田と杉本が来たと思います。それから救急車が来るまで、どのくらいかかったのかとかは、覚えてません」
口をつぐんでみたものの、駿紀たちからは頷きが返っただけなので、三浦は困ったように続ける。
「佐野が運ばれていく時に、救急の人が警察が来るからと言ったので、大変なことになったって初めて思いました。警察も、すぐに来たと思います」
事件状況に関しては、これ以上は出ないだろう。
「なるほど、ありがとうございます。これも聞き飽きた質問でしょうが、佐野さんが何らかのトラブルを抱えていたことはありませんか?」
「いや、知る限りじゃ、全く」
ためらいも無く首を横に振る三浦に、駿紀は水を向ける。
「ですが、佐野さんはかなり良い営業成績だったんですよね?」
「良いどころか、突出してますよ。とてもじゃないけど、同じ土俵で勝負するのは無理なレベルです」
三浦は苦笑する。
「営業としては情けないんでしょうが、ホントにそれくらいに凄いです。その上、俺たちのフォローもしてくれるくせに恩に着せないんです。嫌うヤツなんて、いないですよ」
そこまで褒めるという時は、たいてい何かを隠しているモノだが。
透弥も、ウソは無いと見たらしい。駿紀が口を閉ざしても、何も言わない。なので、駿紀は更に質問する。
「あなたから見て、杉本さんと佐野さんの関係は良好でしたか?」
もう散々訊いていることは、今までに捜査記録からわかっている。三浦自身も、今更包み隠しても仕方が無いと思っているらしく、あっさりと口にする。
「や、杉本も佐野も、気にしてなかったと思います。扱うモノが違うし、契約件数でも金額でも比べられませんから。杉本は杉本で、別次元ですし」
「他に、事件のあった日、いつもと違ったことはありましたか?」
「いや、これと言って……」
言いかかった言葉の、語尾があやふやになる。
「何かありますか?」
透弥に静かに問われて、三浦は慌てたように首を振る。
「たいしたことじゃないです、くだらないことを思い出してしまいまして、すみません」
「くだらなくて構いません、少しでも違ったことがあったなら、教えていただけませんか?」
丁寧だが、熱心な顔つきで駿紀に言われ、三浦は困惑顔になる。
「や、あの、ホント、呆れるくらいにくだらないことで」
「構いません」
透弥にもたたみかけられて、言わなければ終わらない、と三浦は覚悟を決めたらしい。
「本当にくだらないですよ。あの日は中島さんに、いつも佐野に準備させてイイ身分だなって嫌味を言われなかったな、と……」
言いながら、本当に些細でくだらない、と思ったのだろう。またも語尾が薄れる。
「なるほど、お話頂き、ありがとうございます」
しっかりと礼を言われ、三浦は照れ臭そうにしながら、署を後にする。

次に現れた前田道則は、三浦よりも更に佐野に心酔していたらしく、涙目になりつつ誰が先輩を、と拳を握りしめる。
「もっと、教えてもらいたいことがいっぱいあったのに」
事件に関する供述は、三浦のモノと矛盾することも無かったが付け加えることも、ほとんど無い。居室に戻って救急車を呼んで欲しいと要請したこと、ちょうど出社してきた杉本を呼んだというくらいだ。
佐野と周囲とのトラブルに関しても、ありえない、と強く言い切る。
「俺から見たら、佐野さんと杉本さんは、お互い認め合ってたと思います。表立って飲みに行くとかはありませんでしたけど。佐野さんは杉本さんをスゴイって言ってましたし、入社してすぐくらいに杉本さんに、佐野さんに教えてもらえるなら安心だな、って言ってもらいましたし」
「そうだったんですか?」
駿紀は思わず、身を乗り出してしまう。前田は、大きく頷き返す。
「はい、佐野さんからも杉本さんにも学べって言われてました。俺は、二人とも尊敬してました」
調書にもトラブルは無かったという供述はあったが、ここまでは言っていなかった。
「では、二人はむしろ理解者だった、と?」
「はい」
はっきりと頷く前田に、三浦と同じ質問をする。
「事件のあった日、いつもと違うことはありましたか?」
「いえ、何も」
首を振る前田に、透弥が静かに問いを重ねる。
「どんなに些細なことでもかまいませんので、よく思い出してみていただけませんか?」
言われて、しばし首をかしげていた前田は、困ったような顔つきで口を開く。
「そうですね……強いて言えば、中島さんに嫌味言われなかったくらいで」
二人の証言は、警備員である蒲田の、あの日は杉本の上司である中島が遅かった、という証言とも一致する。
その点は問題ないのだが。
前田を見送ってから、駿紀は無意識に唇を尖らせる。
「何が気に入らない」
透弥の声に、宙に浮きかかった視線を戻す。
「いや、ちょっと小池さんとこで聞いてた印象と違うな、と思ってさ」
「誰が」
意地悪な質問だ、と駿紀は思う。
全く検討がついていないのなら、何が、と問うはずなのに。
「神宮司もだろ」
はっきりとさせずに返すと、透弥はしれっとした表情で手元の資料へと視線を落とす。
「全て出揃うまでは、何とも言えない」
透弥らしい返事に、駿紀は小さく肩をすくめてから、扉を開ける。
入ってきたのは被害者の上司、荒木顕作だ。
「参ってるんですよ、本当に」
その言葉通り、目の下にはうっすらとクマがあるし、頬もやつれているようだ。
「三浦も前田も頑張ってはくれていますが、やはり佐野の代わりを務めるのは、少々荷が重いもので、どうしても私が対応せざるを得なくてですね」
深い深いため息をついてから、荒木は我に返った表情で駿紀たちへと焦点を合わせる。
「ああ、こちらの事情ばかりを先にお話してしまって申し訳ありません。ですが、そういった事情なので出来るだけ手短にしていただけると、大変に助かります」
「お忙しいところ、貴重なお時間を割いてご協力いただきありがとうございます。前と同じ質問もさせて頂くかと思いますが、必要なことなのでよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げた駿紀に、荒木は困ったような照れたような表情になる。
「あ、いや、すみません。佐野をあんな目にあわせた人間を追っていただいているのに。毎日のように現場に出るのは、本当に久しぶりでして、そのなんというか。お恥ずかしい。出来る限り、協力させて頂きます」
姿勢を正した荒木は、表情も改める。そうしてみると、上司という立場を務めるだけの人間ではあるらしいと伺える。
「先ずは、事件のあった日のことを教えて下さい。出勤されたお時間からお願いします」
「はい、到着はおおよそですが、6時50分頃です。私が出勤すると、すでに佐野はいました。会議を主催する時はいつものことなので、簡単に内容の確認をしました。一、二分だったと思います。佐野から、追加の資料を加えてはどうかと提案されて、了承しました。その資料が私の手持ちだったので、探して手渡したところで前田が到着しました。多分55分頃だと思います。いつも彼はそのくらいですし、いつもと違うとは感じませんでしたので。佐野は会議資料に加えるから印刷するよう、前田に指示して会議室に向かいました」
上司という立場上か、部下たちの動きを良く把握している。
「三浦が走り込んできたのが、7時5分、これもいつも通りで、前田に状況確認をしてから会議室に向かいました。ほとんど間を開けずに前田も向かったのですが」
言葉が一瞬、途切れる。
「前田が戻ってきた時間は、覚えていません。扉が開いたとたんに転んで、自分の持っていた資料ばらまきながら口ぱくぱくさせてるので、何があったと訊いたら、佐野が刺されてる、救急車、と。驚きました」
荒木は再び、くたびれたように口をつぐんでしまう。
「それから、どうされましたか?」
透弥に促されて、荒木は困ったように首をひねりつつ、言葉を継ぐ。
「救急車を呼ぶよう、関に指示しました。関が受話器を持ったので、私は会議室の方へ行きました。三浦が必死で名前を呼んでも返事が無くて、応急処置は出来る限りのことはしたんですが。確か、前田と杉本も来たと思います」
視線が、落ちていく。
「情けないですね。志願兵役経験しといて、助けられなかったとは」
どうやら、被害者の肩代わりが忙しい、の理由にはしょく罪も含まれているらしい。
「佐野さんには、どなたかとのトラブルなどはありましたか?一方的にというのも含めて、ですが」
すぐに、荒木の視線は上がる。
「いえ、ありません。少なくとも私が把握している限りで、一方的にしろ嫌な感情を持っていた人間はいません」
きっぱりと言い切る言葉に、迷いは無い。
「そうですか、では、貴方の部署へは?」
「へ?」
鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔つきだ。相当に、不意をつかれたらしい。
たっぷり三十秒ほど、駿紀の顔を見つめてから、やっと口を開く。
「ウチの、課、という意味ですか?」
「はい」
「いや、確かに佐野のおかげもあって、社内一番の売り上げではありましたけど、少なくともウチで同じものを扱っているところはないですから、比べようがないと思いますが」
なぜ、そんなことを尋ねられるのかわからない、というのが、ありありとわかる口調だ。駿紀は言葉を重ねる。
「営業をやっておられると、個人や部署ごとの競争がある、とよく聞くものですから」
「同業他社さんとの比較はしてますよ、当然。ですが、生産しているモノがあまりに違う業界向けですので、社内的な比較はありません。決算等ありますから、他も売り上げは把握してますけれども」
荒木は、きっぱりと答える。
「なるほど」
聞き出せるのは、今のところこのくらいだと判断して、駿紀は口をつぐむ。透弥からも質問は出ない。
どこか疲れた背中を見送って、今日の聴取は終了だ。
半ば無意識に首をひねりながら、透弥へと振り返る。
「なあ、神宮司」
駿紀は、やはり小池班のまとめた供述書とあまりに印象が違う、と言いかかった言葉を飲み込む。
ひどく難しい顔つきの透弥は、そのままの視線を上げる。
「隆南、明日は気をつけろ」
「命令するなよ、でも、どういう意味だ?」
聴取する時に相手の発言に注意するのは警察官として当然のコトだが、さすがに透弥が今更、それを蒸し返すとは思わない。
透弥は視線をそらさないまま、もう一度言う。
「ある意味、天才の可能性がある」
いい意味では無いと確信出来るが、それ以上は今は答える気が無いのだろう。
「了解、忠告通り気をつけることにするよ」
明日の誰に気をつけろというのかと考えつつ、駿紀は伸びをする。
「時間系列だけは、揺らがないなぁ」
「出勤してすぐのことだから、あやふやになりようが無いんだろう」
結局、真犯人につながる情報は得られないまま、聴取一日目は終了する。

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