□ 駆けて聞くは遠雷 □ blank-6 □
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再聴取二日目。
まず最初に現れたのは、犯人と目されている杉本の上司、中島松雄のはずだったのだが。
「申し訳ありません、中島に急な仕事が入ってしまいまして。私が先では、問題があるでしょうか?」
丁寧な物腰で現れたのは、最後に聴取をするはずだった杉本治久だ。
一瞬、見間違えたかと目を見開いた駿紀は、ちら、と透弥を見やる。
透弥は、無表情に視線を返しただけだ。
「いえ、そういうことでしたら」
扉を大きく開き、杉本を招き入れる。
「事前にご連絡すべきところ、申し訳ありません」
さすがは営業というべきか、丁寧な物腰で頭を下げる。
「中島さんからの連絡は、今朝?」
「はい、急なアポイントが入ったそうです。本来なら、中島から連絡すべきところですが、その時間が無かったとのことで、私からもお詫び申し上げます」
再度頭を下げる様子は、形式だけという様子は無い。
さすがは佐野に次ぐ営業成績を上げているだけはある、と言うべきか。
延々と刑事に尾行されていることは、察しているだろう。そうでなければ、いちいち、あれほど人目がある場所で営業をする必要は無い。
あえて、自分を晒し続けているのは、先日の尾行で駿紀たちも気付いている。
が、隔離された場所に呼び出されたにも関わらず、必要以上の緊張はしてないようだ。
もちろん、昨日、聴取したガイシャと同じ課の人たちと同様の、なぜ違う刑事だちが登場したのか、という当然の警戒感はあるが。
「お手数ですが、もう一度、お話を伺わせて下さい」
駿紀の言葉にも、あっさりと頷き返す。
「わかりました」
腰を下ろすのを待ち、いい加減耳にタコも出来ているであろう質問で切り出す。
「佐野さんが刺された日のことを、教えて下さい」
「朝のミーティングがあったので、6時17分の電車に乗りました。あ、申し訳ありません、西区二十三丁目駅からです」
今まであまりに繰り返してきたせいか、駅名を吹っ飛ばしたことに気付いて杉本は付け加える。自身は、他の人以上に繰り返しているはずなのに、話を聞く駿紀たちの方は初めてだ、と気を使っているらしい。
「あの時間帯だと、乗り換え無しで行けるのはそれしかないので、打ち合わせにはギリギリなんですが、いつも乗っています。乗る前に、駅の売店で取引先がトップ記事だった新聞を買いました」
尋ねずともアリバイとなることを付け加えるあたり、本当にしつこく訊かれた結果だろう。の割には、警察に対する敵意まではいかずとも、不快な様子は見られない。
「新聞を読みながら、会社の最寄りの三河屋通り東駅で降りました。時計は見ていなかったですが、遅延の放送は入っていなかったので時間通りだったと思います」
「遅延の放送が気になったんですか?」
定時の根拠が自分のモノにしろ、駅構内にしろ時計ではなく放送というのが、少々変っているように思えて駿紀が訊き返す。
「はい、途中で別の路線が遅れてるか止まってるかで、影響が出るかもしれない、という放送がありましたので。ですが、到着した際に放送が無かったので、時間通りだと判断しました」
実際、あの日は数路線が信号確認の為にいくらかの時間止まって遅延している。
「なるほど、では続きをお願いします」
「ビルの入り口に入った時か、もう少し行った時か覚えていませんが、前田くんが真っ青な顔で飛んできて、佐野さんが、とかなんとか、ともかく来てくれ、と言われて、尋常じゃないと思ってついていきました」
光景を思い出したのか、杉本はそこで口をつぐむ。
眉を寄せて、ややしばらく黙りこんでいたが、やがて、先程までより重い口調で続ける。
「会議室の前の廊下だったと思います、佐野が真っ青な顔してて、周りが真っ赤になっていて……三浦か荒木課長が、血が止まらない、と言っていた気がします。訳がわからなくて、傷を心臓より高くしろって言ったら、おなかだから無理だと誰かが」
机の上に置かれている拳に、力が入る。
「言われて、佐野の腹になんか刺さってるのが見えて、確か、どうした、何があったんだって、訊いた気がします」
「誰か、答えましたか?」
「わからない、いきなり倒れたって感じのことを三浦が言ってたとは思いますが、よく覚えていません……その後すぐ、救急車が来て、佐野は運ばれました。荒木課長が付き添ったんだと思います。で、その時に、救急隊員の方に警察がくるから、ここはそのままにしとくよう指示され、とんでもないことになっていると。警察の方も、すぐに来たと思います」
当日の混乱ぶりも、昨日までの証言とズレたところはどこにもない。
「では、佐野さんの周囲で、何かトラブルがあったなどの話は、ご存知ありませんか?」
「いえ、佐野に感謝や尊敬をしている人間はいるでしょうが、トラブルなど聞いたこともありません」
杉本は視線を上げ、きっぱりと返す。
「一方的に恨まれる、などもですか?恨むというのは少々言葉がキツいですが、目の敵にされる、などは?」
「…ありません」
ほんの微かの間が、返事までに開いたこと透弥ももちろん、気付いたはずだ。
「ですが、売り上げのことであなたの上司は、はっぱをかけることが多かったとか?」
「それに関しては、今担当しているモノの売り上げとしては良好です。佐野の担当しているモノと比較するのが妥当でないことは、中島さんも十分わかっています。努力を怠るな、というハッパだと思っています」
杉本は、まっすぐな視線ではっきりと言い切る。
さきほど見せた逡巡は、無い。嘘もないようだ。あえてケガのことを持ち出しても動揺はしないだろう。
「なるほど、色々とお聞かせ下さってありがとうございました。何か、新しいことを思い出したら、ご連絡をいただけると幸いです」
丁寧に送りだすと、杉本の方も丁寧に頭を下げる。
「いえ、何かお役に立てていれば良いのですが」
何度も話を繰り返させられていることへの不快感も無さそうな様子で、部屋を後にする。
扉が閉ざされてから、駿紀は透弥を見やる。
「ライバルを仕事以外で蹴落とすタイプには見えないな」
「そもそも、競争相手と認識していない」
杉本は、佐野に敬意をはらっていこそすれ、敵視はしていない。それは、昨日聴取した三人もだ。
今になって証言を翻した様子も無い。
駿紀は、首の後ろに手をやり、軽く首をひねる。透弥は涼しい顔で資料に視線を落としている。
「次は?」
「部署の庶務担当者だ」

ややの間の後、入ってきたのは営業担当たちの事務を一手に引き受けている、関だ。
ちら、と視線を向けられると同時に、透弥がにこり、と脊髄反射フェミニストの笑みを浮かべる。
「ご足労をおかけして申し訳ありません、どうぞ」
「は、はい」
頬をかすかに紅潮させながら、関は椅子に腰を下ろす。
透弥が刑事らしい真顔に戻っても、上気した頬から血の気が引く様子は無い。別の意味で平常状態か駿紀は微妙に心配にはなるが、完全にこちらのペースで話を進められそうだ。
「佐野さんが事件にあった日のことを、思い出せるだけ話していただけますか?」
「はい、私が出社したのは、いつも通り佐野さんの直後です。朝の会議資料は自分で用意するルールなので、私は朝出しの郵便物の確認をしました。荒木課長がいらっしゃって、佐野さんと会議の内容を確認した後で、前田さんが出社しました」
何度も繰り返したのがわかる、すらすらとした供述だ。が、何か作っている様子は無い。
口をつぐんで、様子を伺う視線を向けた関へと、透弥が頷き返す。あっさりと彼女は頬を再び上気させて、続きを話し出す。
「前田さんに資料のコピーを頼んでから、佐野さんは会議室へ行きました。ちょっとしてから、三浦さんが出社されて、すぐに会議室に行って、前田さんもすぐ後に向かったと思います」
関の肩に、少し力が入る。
「少しして、前田さんが戻ってきて、佐野さんが倒れた、刺されてる、救急車って……何がなんだがわからなくて驚いていたら、荒木課長に救急車を呼ぶように言われて、必死で電話しました」
「電話の後は、どうされましたか?」
「階段まで行ってみたんですけど、聞こえる声が普通じゃなくて怖くて、足がすくんでそのままでした」
透弥が、もう一度静かに頷き返す。わかります、とでも言われた気になったのか、関の肩から少しだけ力が抜ける。
「声は、はっきりと聞こえていましたか?」
「ええと、佐野さんを呼ぶ声がほとんどだったと思います。全部は聞こえませんでしたが、心臓より高く、とか、無理とか、あと、血が止まらない……」
恐らくは無意識に、関の体が震える。
「少しして、救急車が来たと警備の方から連絡があったので、案内しました。でも、荒木課長が見ない方がと言って背中にかばってくれたので、私は見てません。杉本さんも、三浦さんも、顔が真っ青だったのだけは覚えています」
昨日、荒木が志願兵役経験したのに救えなかった、とほぞを噛んでいたけれど、本格的な戦闘に巻き込まれることが最近ではまず無いリスティア軍にいては、血を見ることが珍しい。
止まらない勢いで出る血を見て、その場にいた誰もが真っ青になったのも不思議はない。
「では、関さんから見て、佐野さんは何らかのトラブルを抱えていましたか?」
言葉より先に、関は首を大きく横に振る。
「まさか、ありえないです!取引先の方からの電話、かなり受けましたけど、皆さん、わざわざ佐野さんを指名されるくらいでしたから」
事務を担っている、という彼女らしい観点だ。
「なるほど、さすがに細やかに観察していらっしゃるようですね、他にご存知のことはありませんか?」
透弥に褒められて悪い気はしなかったのだろう、関は一生懸命に考えている様子だ。
「あ、そうだ、彼女さんは幼馴染で、家族ぐるみのお付き合いだと聞いてます。だから、籍を入れるタイミングが返って難しい、って」
今回の再聴取に、家族側が入っていないのはそのせいもある。
現場が職場だったこと、プライベート関係の人間ははっきりとしたアリバイがあったこと、そしてなにより愁嘆ぶりがひどすぎて、嫌というほど場数を踏んでいる小池班といえど問い詰められるような状況ではなかった。
金銭的にも、感情的にもトラブルの線は全く浮かばず、今回も再聴取の線からは外れている。
「そうですか、社内の方では?」
「佐野さん嫌いな人なんて誰も……」
言いかかった語尾が、少しだけ薄れる。
「……でも、中島さんは真面目すぎて誰にでもとげとげしい感じだから、佐野さんだけって訳じゃないですし……やはり、佐野さん個人を恨んでるとか嫌っている人は、私にはわかりません」
最後にははっきりと言い切った関に、丁寧にお礼を言ってから送りだす。
扉がしっかりと閉まったことを確認して、振り返って駿紀が口を開く。先程から、むずむずとした感じがして落ち着かない。
「なあ、神宮司」
「なんだ」
冷静そのものな視線と目があって、駿紀は小さく肩をすくめる。
「いや最後まで聞いてから、判断する」
昨日の透弥の忠告について、少々思うところがあるにはあるのだが。返ってきたのは、予想通りの言葉だ。
「賢明だ」

三人目に現れたのは、今日最初に聴取するはずだった、杉本の上司である中島松雄。
きっちりと分けた髪と、シルバーフレームの眼鏡で、営業職というよりは経理などと言われた方がしっくりと来る風貌だ。
「どうも、中島です」
言いながら、過不足なく頭を下げた仕草と不思議と耳に馴染む声に、駿紀はいくらか驚く。もっと硬質の声と思い込んでいたからというより、妙なくらいに耳に馴染んだからだ。
「ご足労をおかけしました。ご協力頂きありがとうございます」
頭を下げ返してから、一通りのあいさつをし、席をすすめる。
「いえ、あんな恐ろしいことをするような人間を捕まえていただけるなら、いくらでも協力させていただきますよ」
眼鏡の奥の切れ長の目が、笑みを形作る。見た目の硬質さからは想像のつかない、本当にモノやわらかな印象だ。
「では、事件のあった当日のことを、お話いただけますか?」
「ええ、もちろんです」
中島は頷いてから、思い出すように眉を寄せる。
「あの日はですね、いつもどおりに家を出たのですが……参ったことに途中で電車が止まりまして」
いくらかゆっくりと話始める。
昨日、三浦と前田が中島が遅れた、と言っていたが、信号確認で止まった路線に乗車していたからだった。
よって、到着は最も遅かった。しかも、被害者である佐野が運び出された後だ。その後の状況に関しては、今まで聴取した内容を改めて裏付けるモノばかりだ。
当日の様子はこれ以上の情報は得られない、と判断して、もう何度も何人もに訊いた質問を、駿紀は繰り返す。
「佐野さんが、どなたかとトラブルを抱えていたか、ご存じありませんか?」
「佐野くんは人格も含めて優秀な人材でしたよ、トラブルを呼び込むような性格ではないです」
内容は、褒め言葉だ。
なのに、何かが駿紀の中でつっかかる。
何も言っていないのに、語尾に「ですが」という単語が聞こえるような。微かなはずの気配だが、気付かない人間はいないだろう。特に、情報を拾おうとしている警察官ならば。
当然、こう訊き返さない訳にはいかない。
「ですが?」
「トラブルとは言えませんが、優秀すぎるのも、少々」
言い辛そうに、眉を寄せて中島は言う。
「本人にその気は全くないんですがねぇ、真面目にやってる人間にとっては、少しばかり面白くないと言いますか」
そのまま言葉を鵜呑みにするなら、恨み辛みがある訳ではないけれど、小さなトゲのような感情があった、ということになる。
「そういう方が?」
「いや、まあ、イイ大人が表立って出すような真似はしませんけれどね。まあ、何かといえば、杉本を目標にしろとかと言われていると、どう思うか、というところです」
まるで、誰からも微妙な嫉妬を受けていたように聞こえる。
「佐野さんは、誰もから褒められるような人だったようですが?」
「この状況で、あからさまな悪口を言う人間がいますか?」
自分と禍根があるなどと口にすれば、真っ先に疑われることになる。それは、聴取された誰もがわかっていることだ。
中島の言うことは、もっともなのだが。
「では、中島さんから見て、佐野さんに思うところがあったと判断するのはどなたですか?」
「それは、その、私がなにかとハッパをかけていたのも悪かったですが」
暗に、杉本だ、と告げる。
「ですが、私が言っているのは、なにか棘が刺さったような、そんな程度の感情ですよ。まさか、人を手にかけるなんていうことをするような人間が」
いきなり饒舌に言いつのるが、ぴたり、と黙る。
「あ、ですが、実際に」
そう、実際に佐野長太郎は殺された。
「確かに、三浦だっていつも比べられていましたし、前田も目指す先はとプレッシャーはかかっていましたが、ですが」
そのまま、口をつぐむ。
駿紀もだが、透弥も口を開こうとしないまま、ややしばし。
中島は、最初の柔和な声に申し訳なさをにじませながら、頭を下げる。
「すみません、勝手な憶測を申し上げました」
本当に、気味が悪いくらいに耳馴染みがいい。
だが、これ以上何か証言を得ようと思っても、得られるものは無さそうだ。
「いえ、色々とお聞かせ下さって、ありがとうございました」
有益な情報が得られたと感謝している声そのもので、透弥が返す。
「必要な時は、いつでも声をかけて下さい。今朝は失礼いたしました」
社内の人間にとげとげしい発言をしたことがるとは思えないやわらかな物腰で、中島は部屋を後にする。
扉が完全に閉じて、絶対に相手には聞こえない、と判断した瞬間に、駿紀の口から大きく息が漏れる。
「神宮司が気をつけろって言った意味がわかった」
透弥は、小さく肩をすくめてみせる。
「隆南には注意するまでも無かった」
「え?」
「何か気付いたのだろう、中島の話の途中で」
いつも通りの口調だが、駿紀は軽く眼を見開く。そういう素振りをしたつもりは無かったのだが。
「え、俺、途中なんかやらかしたか?」
「いや」
じゃあ、なんで透弥は気付いたのか、と問い返したいが、今はその話よりも優先すべきことがある。
「中島しか、トラブルに言及してない」
「しかも、言葉巧みに皆が隠しているように見せかけている」
透弥の言葉に、駿紀は確信する。
「二課の方じゃよくあるタイプか」
「周囲の動きも利用する厄介なタイプだ。騙されてると気付かない人間が多いし、ボロを出すことも少ない」
「どちらかっていうと、詐欺師だよな、やっぱり」
「ある意味、営業としては優秀だろう」
「裏取らなきゃいけないけど」
言われたとおり、途中で気付いたことがある。いつもの勘、としか言いようの無いモノだ。
「あいつが、ホシだ」
駿紀の言葉を、透弥も頭から否定はしない。
「小池氏らは中島の言葉を信じている」
「ま、な」
透弥は言わなくても駿紀が気付く、と思ったようだが、正直、忠告されていなかったら、どうだったかと思う。
それほど巧みに、社員全員が不居和音を隠していたと思わせる話ぶりだった。
「気をつけてれば、前田みたいなタイプは本当にトラブルあったんなら隠せないよ」
「それを忘れさせるほどだ、ということだ」
「動機は、自分で吐いてるよな」
出来過ぎの人間は、時に目障りだ、と言ったのは中島だ。
「その点の裏を取るのは、そうは難しく無いだろう」
今のところ、自分がマークされることは無いと信じ切っているはずだ。それに、不自然な動きをすれは、返って疑われる元になることくらいは、わかっているだろう。
本人が言っている通りの線をあたればいい。
「ウソを吐くなら、破綻しない設定にするってのが鉄則だもんな。嫉妬してるってのは、中島本人なんだろ」
「その線からあたるのがスジだろう」
透弥も頷く。
「でも、と、なると」
駿紀は言いながら、無意識に首の後ろを撫でる。
「アリバイの件、変わらなくね?」
中島が出社したのは、事件後だと全員が証言している。
ある意味、鉄壁だ。
「容疑者が変わっただけで、振り出しだ」
ごくあっさりと、透弥がトドメを刺す。

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