□ 駆けて聞くは遠雷 □ blank-7 □
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現場百篇とは言うものの、ここまで雲をつかむような状況なのも珍しい。
「なんっか見落としてるんだよな」
見落としている、もしくは情報が足りないのは現場の状況か証言か、だが、まずは現場を確認することにした訳だ。
早朝のオフィス街は、先日、張り込んでみた時と変わらぬ景色が広がっている。
まばらなスーツの人間、そして早朝の運動を決め込んでいる人々。犬の散歩をしている人や、散歩をしている人の方が多い時間帯だ。
「やっぱ目立つよな、スーツ以外でオフィスに入ってったら」
「時間帯を考慮すれば、スーツでも目立つ」
「夜中から隠れてたとしても、一回、社外に出なきゃいけないしな」
出社したところを警備の人間からも目撃されているのだから、中島を容疑者とするなら、そこをはっきりとさせない限りどうにもならない。
「それが出来ないなら、すでに出社した人間が犯人だ」
真っ先に疑われるのは第一発見者の三浦だろう。が、階下に降りた時間と、前田が言った時間とのギャップから考えると、そうとうな早業が必要だ。
刺されたのは腹部で、三浦が支えていたのは背中側だ。そうでなければ、前田が凶器と血に、気付くことが出来ない。
本当に疲労で倒れた被害者を、驚いた顔をしつつ前田が刺すことも考えられなくもないが、致命傷にする為には力が必要で、三浦の目の前で気付かれずにやってのけるのは難しい。
となると、三浦、前田が出社する前に荒木が、もしくは事務を担当している人間が、と考えるべきだろうが、被害者が会議室へと降りて行ってから、誰もそちらへは行っていない、という確固たる証言がある。
「自殺、の線は無いよなぁ」
「何のために凶器から指紋を消す必要があるんだ」
透弥が、すぐに返す。
実のところ、一応は凶器の鑑定を依頼してあったのだ。
オフィスに置いてあるハサミであることは、複数の人間からの証言が取れている。容疑者が会社内の人間である限り、誰の指紋が出ても犯人の断定にはいたらない。
むしろ、赤の他人のが出てきたら、外部の犯行ということになり、それこそ捜査が振り出しに戻るコトになるのだったが。
結果は、どちらでも無かった。

林原が、いたって真面目に解説してくれたところによると、だ。
「指紋が、拭きとられてる」
駿紀は目を見開いたし、透弥は少々眉を寄せた。
「ガイシャともみ合った結果、じゃなくて?」
一応は、考えられる可能性を駿紀があげてみた。
「考えてみてよ、犯人は明確な意思をもって、刺した後で引っかき回したんだろ?力入れずには無理だ、握りしめていたはずだよ」
「指紋が被り過ぎて潰れた可能性は?」
透弥の問いにも、真顔のまま林原は返した。
「潰れたのか、布でふいたのかはわかるよ」
「意図的に?」
「そこまでは。でもこすった跡があるってのは、確か」
駿紀と透弥は、どちらからともなく顔を見合わせた。
「返り血を拭いた?」
布を手にしていた、という事実から最初に思いつくコトだ。
「刃先以外には血液はなかったから、返り血が来るのを予測してって方かな、可能性としては」

少なくとも、今のところ、その布は何なのかわかっていない。現場に落ちていなかったということは、すでに移動した後ということだし、見つかったとしても現場で使われたモノだと同定するのは簡単ではない。
「犯人は、指紋が証拠になると知ってるってことか?」
「もしくは、意図せずに拭いたか、だ」
それを判断出来る材料も、何も無い。
「だからって、旧文明産物に飛びつくのは早いよな」
あまりに説明出来ないので、小池班の堀田が言いだしたのだ。
「もしかして、透明人間になる薬とかあるじゃないですかね」
と。
言いたいコトはわからなくもない。実際に存在することが信じ難いようなモノがあっさりと存在していたのが旧文明だ。
怪奇現象かと思われた事件で、その線であたって正解だったというコトは、時折ある。
まだ、そちらに完全に傾いた訳ではないが、小池班では関係者の周囲に、そういったモノを入手出来る可能性がある人間がいるのかどうかの捜査を始めている。
「旧文明産物が関わるなら、隠しきるのは難しい」
「だな、小池さんたちがあたってるから、ソチラは待つってことで」
大抵のモノはどう作動するかわからず、不発弾並の扱いで通報が来るのが普通だ。
それに、細かなのモノだったとしても、旧文明産物という時点で警察か総司令部が嗅ぎつける。好き勝手に使われれば、惨劇を呼びかねないだけに、神経質なまでに情報管理されているからだ。
そうそう簡単に一般人に入手出来るモノでは無い。
やはり、本当に出入りする方法が無いのか、検証は必要だ。
「正面以外から入ったら、目立つし」
「裏口にも警備員はいる。まさか壁をよじ登ったと言いたい訳ではないだろう」
「今回の件に関しては、無理だな」
過去に外壁からの侵入経路だった事件が無かった、とは言わないが。
ともかく、今回は目立つ方法はダメだ。ひたすらに目立たず、気付かせず出入りする方法がわからなくては。
「透明人間になる薬、は無いかもしれないけど、なる方法は見つけなきゃいけない、か」
オフィス、という性質上、出入りは本当に限られている。
しかも、早朝だ。
「客の路線は無いんだし」
その点は、警備員たちがはっきりと証言している。事件があったオフィスだけではなく、ビル内に入っている誰宛にも客は来なかった。
それどころか、だ。
「あの日に限って、他のオフィスには出社している人間もいなかったんだよな」
駿紀は、首の後ろへと手をやる。
「警備員の目線を、一瞬でもそらす方法があったりするかな」
先ほどから透弥が相槌すらうたなくなったので、まるで独り言だ。ソレに気付いて隣を見やる。
別に、駿紀を無視する気は無いのか、視線が返ってくる。
「犯人は、手品師とでも?」
「でも、ソレに近いコトやらなきゃ、気付かれずに出入りするの無理だろ」
返している間に、人通りは増えてくる。犯行時刻が過ぎて、通常の通勤時間になったのだ。
「このまま見てても、今日のところは収穫無さそうだな」
前回と変わらぬ光景だし、新たに気付いたモノも無い。これだけ人が行き来するようになってしまっては、何があったのかまではわかりにくい。
本庁に向かって歩き出しつつ、駿紀は首をひねる。
「死因は刺殺、薬物の痕跡は無いんだよな」
「犯行時刻は七時から十一分間」
「会議室で待ちかまえていたって線は」
「今のところ、否定する要素は無い」
「移動するよりゃ、手っ取り早いしな。でも、夜から待ちかまえていた可能性も考えないとダメか」
「杉本以外のアリバイが、どこまで取れているか確認した方が早い」
透弥の至極まっとうな意見に、駿紀も口をつぐむ。

小池班とて、杉本一人だけのアリバイを追っていた訳ではない。
杉本以外も、到着時間だけでなく出発時間の確認も入っている。
「中島の乗車はいつも通り、電車が遅延。でも、裏は取れてる、か」
ファイルを繰りながら駿紀が言うが、透弥から返事は無い。
視線を上げると、先日、杉本が別路線を使った可能性は無いか確認した時の資料を広げているところだ。
「神宮司?」
「裏が取れているのは、電車の遅延、中島がその電車に乗車したことだ」
細かいコトにこだわってる、とは駿紀も思わない。立ちあがって、透弥が広げた資料を覗き込む。
「使ってる路線は、コレ。で、遅延発生が」
「少なくとも、ここでは判明している」
「なるほど、ここで停車してたのか。ま、普通は気付くな。しかも、乗り入れ路線が多いところじゃないか」
「最短で移動することを考えれば、コレに乗るしかない」
透弥の指が、時刻表の一本の電車を指す。駿紀が、それを引き取る。
「ああ、ソレ、数駅飛ばしてくヤツだよな、って、おい、コレ」
「犯行時刻には、充分に間に合う」
「ああ、到着時間としては、荒木さんと同じくらいか?避けてる可能性はあるけど」
「いや」
きっぱりと透弥は否定する。
「中島のタイプなら、むしろ正々堂々と正面突破するだろう。まして、そこにいるのがライバルと目する課の課長なら」
今更、透弥の分析を疑う気は無い駿紀も、頷き返す。

ところが。と、しか言いようが無い。
出勤時、いつもと違うモノを何か見なかったか、と改めて尋ねられた荒木は、必死で考えた挙句、困ったように首を横に振ったのだ。
「申し訳ありません、何も見ていません」
「いえ、ありがとうございます」
無理矢理に証言を作っては意味が無い。
荒木自身は、話しかけられて自分が疑われているのかと心臓がはねたようだが、そうではない、と知って大いにほっとした様子で、実に好意的に記憶をたどってくれた。
荒木と別れて、本庁へと戻る道を辿りつつ、駿紀が首をひねる。
「どうやったかさっぱりだけど、コソコソとはしてなかったよな」
透弥が、どういう意味だ、と目線だけで尋ねる。
「いや、隠れようとしてコソコソとしてたら、返って怪しいと言ってるようなもんだろ?堂々としてた方が、目立たないんだろうな、と」
駿紀が返す。
一瞬、透弥の目が軽く見開かれたように見えたのは、気のせいだったろうか。
いや、気のせいでは無いと思い返して、駿紀は首を傾げる。
「神宮司?」
「突然現れても、疑われること無く堂々とビルに入るコトが出来る」
疑問ではない、確信の口調。
「だから、そんな手品みたいなことが」
「出来る」
きっぱりと言い切った透弥の顔は、なぜかあらぬ方向を見ている。
「?」
駿紀も、微妙に首を傾げたまま、透弥の視線の先を見やる。
「…………!」
驚いて口は開いたが、とっさに声が出ない。
少々距離を置いた先、台車とカートを混ぜ合わせたようなモノに荷物を入れ、制服と制帽に身を固めているのは。
今となっては、どこの会社にだって出入りしていない訳が無い、その職とは。
「運送業者のふりしたのか」
「それなら、手袋もしている」
「凶器の指紋が拭かれていた説明も出来るな」
運送会社によっては早朝の配達をサービスに掲げているところもあるから、犯行時間帯に問題無く入るコトが出来る。
「警備員は不審者とは判断しない上、交代頻度の高い彼らを個別認識はしない」
「しかも、ちょっとした荷物のふりして、凶器を持ち込んだり、着替えも持ち歩けるってわけだ」
さすがに職場に顔は出せないから、凶器は前日までに持ち出していたに違いない。
出て行く時に荷物があるのもおかしくは無い。受領と引き換えに発送を請け負うことは珍しくない。本庁のメールシステムと同じだ。
「荷物持ちながらなら、公園横切っても目立たないな」
そう、荷物の行き来のふりをしたなら、往路も復路も悪目立ちはしない。
なにもかもをやってのけてから、最寄り駅まで引き返して着替え、平気な顔をしていつものように出社する。
後は、自分が犯人ではないように証言時に絶妙な駆け引きをしてのければいい。
「中島なら」
「制服もどきは、落ち着いてから捨てるだろう」
「俺もそう思う」
証拠品が残っている可能性が高いなら、ことは急ぐ必要がある。しかも、相手に気付かれる前に、だ。

駿紀たちに中島なら犯行が可能だ、と提示されて、小池班の面々は誰からともなく顔を見合わせる。
「まさか」
犯行時刻ギリギリに出社している人間ではなく、むしろ遅かった人間が犯人とは。
もちろん、事故で止まった電車から動いたかどうかの確認はしてあった。が、それが真剣であったかどうかは、微妙なところだろう。
その前に、杉本こそが犯人であると、無意識に思い込まされていた。
「いきなり捜査令状が取れるか?」
中島が犯人だというのは、今のところ推察でしかない。
小池の問いに、辻村と土肥が難しい表情で返す。
「遅延で停車していた電車から動いたかどうかを追えば、出るかもしれませんが」
「通常の令状を取った方が、早いのでは」
「ですが、相手はかなりずる賢いです」
困惑した顔で、付け足したのは堀田だ。
皆の視線が集中したのに、頬を染めつつも続ける。
「これだけ長い期間、ミスリードしてきた相手です。裏を取り始めたら、勘づかれてしまうんじゃないでしょうか」
「だが、むやみに踏み込む訳にもいかない」
辻村たちも、堀田の口にした懸念は持っているのだろう、困り顔になりつつ返す。
小池班の面々が困っている内容は、駿紀も同意だ。彼らの実績から考えたら、ミスリードを仕掛けた中島松雄という人間はそうとう狡猾だと思っていい。
だが、それよりも、だ。
こういった対処は、むしろ得意なはずの人間が、先ほどから一言も口を開いていないことの方が、今は気になる。
視線を、そちらへと向ける。
いつもの無表情だが、不機嫌では無い。
やはり、と確信する。
「神宮司、何か考えあるんだろ」
「裏を取れば良いと思います」
駿紀にではなく、小池へとはっきりと透弥は言う。
「へ?」
「は?」
返ってきたのは、実にマヌケなモノだ。当然だろう、今さっき、それは危険だ、という話をしたばかりだ。
が、全く意に介した様子無く、透弥は続ける。
「杉本が犯人だと目する捜査から方向転換したとあからさまにわかるように、全員の裏を再度取り直します。ただし、抑えるのは中島のみで充分でしょう」
「止まってた電車から降りたことがバレる前に、証拠品を始末しようとするって訳か」
透弥の意図を察した刑事たちは、今度はらしい表情で顔を見合わせる。
そういうことなら、まさにお手の物、だ。



そこからは、事件発生からの捜査の進展ぶりと比べれば、急転直下という言葉がふさわしい展開だ。
杉本が最も疑われていることは誰もが知っていると承知の上での「実はここだけの話ですが、杉本さんは事件と何ら関係ないことがわかりまして」。
その上での「当日、どのような乗り換えで出勤したかを改めて詳細に教えて下さい」は実に効果的だった。
ダメ押しは、各駅の改札担当者への聞き込みをしているという話をも「ここだけ」と広めたことだ。
深夜、しかも月も細い夜、ゴミ捨て場へと現れた男へと、どこからともなく現れた影が告げる。
「大変申し訳ありませんが、その中身を確かめさせてもらいます」
「ッ!」
置こうとしていたゴミ袋を握り締めたまま方向転換しようとした時点で、半ば自白したも同然だ。
目前をふさがれただけでなく、完全に囲まれていることに気付いた中島は開き直ったのか、少し落ち着いたのか言い返す。
「人のゴミをあさるとは、どういうことです?」
プライベートの侵害だとでも言いたげな口調だが、さすがに小池班の刑事たちにも今更、だ。
「ご安心ください、事件に関すること以外は口外しませんから」
辻村が言う間に、本郷が中島の腕を掴む。
どこにどう力を入れたのか、小さいうめきと共に、あっさりとゴミ袋は刑事たちの手に渡る。
中心街より少々薄暗い街灯の下、膝をついたのは寺内と堀田だ。
かたく縛られていたらしい袋は、その口を無視されつつあっさりと破られる。先ず、寺内が無造作に取りだしたモノを街灯の下で広げる。
特有の色の、ソレは、まさに特別捜査課が推理したまま、の物体だ。
誰もが見慣れた、運送会社の配送担当者たちが身につけている制服そのもの。
堀田も、ごく小さな塊を取り出してくる。
広げれば、五本の指が広がる。手袋だ。
白一色のはずのソレには、街灯の下では黒っぽく見える染みがついている。
小池の視線が、二人の刑事が街灯の下に広げたモノから、本郷にしっかりと腕を掴まれたまま身動きが取れないでいる中島へと移る。
「中島さん、夜分遅くに申し訳ありませんが、署までご同行願えませんか?」
願う言葉でありながら、有無を言わさない声。
がくり、と中島の膝から、力が抜ける。

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