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癪な師匠と弟子
 すりうも

申し分の無い夜だ。
その日一日、師匠に面倒を押し付けられなかったし、窓から見える月は絶妙だし、目前には美味い酒と唯一無二の親友。
これ以上、何を望めっていうんだよな。
俺は、とても満ち足りた気分で、グラスを傾けている。
目前で、自分のグラスを空けた彼が、軽く首を傾げる。
「大魔法使い殿は、贅沢ではないが趣味は良いお方だね」
仕事外で彼が師匠のことを言い出すのは珍しいな、なんて思いながら、俺は頷く。
「ま、そういう言い方も出来るかな」
ようするに、間違いなく底辺出身じゃないなってわかる趣味ってわけだ。下世話なものは知らないしさ。
もっと言っちゃえば、だいたいのところは知ってるんだけど、そこらは別にヒトサマに言うようなことじゃない。
彼も、別にそういうことに興味がある人間では無い。
なんとなく、行き着く先が見えた気がして、俺は外へと視線をやる。
「なんで、うめこぶ茶だけ徳用なのかと思ってさ」
それなら、答えは簡単だ。俺は窓の外を眺めたまま答える。
「そりゃ、修行時代に自由になる金はあんまり無いってことさ」
少ないこづかいで出来るだけ多くとなったら、徳用にいきついたってわけだ。舌になじんじゃうと、案外、止められないんだよな。
そうでもなけりゃ、師匠の出身じゃ、まず徳用なんてのは手を出さないシロモノだ。
「ほう」
感嘆などしない男の口から、それらしい言葉が出るなんて不信極まりない。俺は、視線だけを彼へと戻す。
視線が合うと、何気無い調子で彼は続ける。
「さすが、弟子は詳しいんだな」
言外の意味に気付かないほど鈍かないけど、自分から口にすることでも無い。視線を、外へと戻す。
俺の様子にお構いなく、ずばり、と彼は核心をつく。
「ある人が大魔法使い殿にお尋ねしたら、覚えてないと答えたそうだが」
相変わらず月を見上げたまんまの俺に、彼は、にやりと口の端を持ち上げる。
「なるほど、これはもう一本開けよう」
楽しげに立ち上がったかと思うと、棚から新しいボトルを取り出してくる。いいワインを集めるのは、彼の唯一の楽しみであり趣味だ。
相伴にあずかれるのは嬉しいんだが、どうやら今日は引き換えに楽しみを提供しろ、ということらしい。
俺は、彼へと視線を戻しながら、ぱちん、と指を鳴らす。
何をしたのか、彼には想像が付いたらしい。笑みを大きくしながら、慣れた調子でコルクを抜く。
「ふうん?」
俺のグラスに、新しいのを注ぎながら楽しげに言う。
「大魔法使い殿も知らぬ話が聞けるかな?」
「さて、どうだろうね」
俺も、にやり、と笑い返すと、グラスを手にする。
うん、これもいい香りだ。

話は、けっこう遡る。
なんせ、俺が禁忌魔法を初めて試すって時だからさ。
そうだな、精霊と契約する前って言ったら、もっとわかりやすいか。
魔法使って、そこら歪ませては浄化なんてしてた頃だよ、修行始めもいいところだ。
禁忌を初めてってのも変な話だけど、師匠みたいに大魔法使いなんて呼ばれるようになると、妙なトラブル持ち込まれることが多いんだ。で結局のところは、修行と銘打たれて俺に回ってくるって寸法。
内容によっちゃ、禁忌を使わざるを得ないことだってあるわけだ。
それって、けっこうマズイ状況ってことでもあるんで、頭でっかちに呪文だけ知ってて慌てたんじゃ用をなさない。
やっぱ物事、実践が大事ってヤツだな。
ちょっと話は逸れるけどさ、なんで禁忌に分類されてる魔法があるかっていうと、周囲への影響が大きすぎるってのが大きな理由。だから、トラブル解決の為とはいえ、影響は最小限に抑えられなきゃいけないってこと。
面倒なんだけど、仕方無いよな。
結局は使うクセに、なんで禁忌かって?
そういう名前にしときゃ、びくついて使わないヤツが増えるんだよ。カッコ良く言えば、良心に訴えるっていうかさ。ま、バカ減らし効果だな。
で、俺の初禁忌魔法はなんだったかって、時間を遡るヤツ。
下手に手出ししたら、以降の歴史が変わっちまうだろ?だから、これも禁忌。けっこう上位だから、使えるヤツ少ないけどな。
下手に使うと、自分消えちまうし。
と、話が逸れてるな。
師匠が徹底してるとこは、行く時間軸も自分で決めろってあたりで、選択眼も養えってわけだ。
俺が、どこを選んだかって?
師匠がうめこぶ茶に出逢った瞬間だよ。もちろん、師匠には言わないけどさ。
これなら手出しのしようが無いし、こっちは好奇心が満たされるって寸法。悪くないよな。
というわけで、俺は早速、魔法陣をちょいちょいっと描いて出発した。
あっちに到着するまでには、ちょいと顔とか背格好変えたりして準備万端、後は件の時に行きつくだけ。行ったら行ったで気楽に見物してくりゃいいんだから、楽勝だ。
と、思ってたんだよ。
ところがどっこい、遡れど遡れど、たどり着きゃしない。
俺は師匠の生い立ちを知りたいわけじゃないってのな、なんて軽口が、シャレにならないと明白になったところで遡るのを止めた。
この時の俺の顔つきは、さぞかし見物だったに違いない。なんせ本気でぽかんとしてたから。
何が起こったかって、師匠がこの世に生まれる直前まで辿ったってのに、どっこにもうめこぶ茶が無いんだよ。
あり得ないだろ?
俺は、むやみやたらにヒトサマの人生に手出しする趣味は無いし、感じた限りじゃ誰か手を出した気配も無い。
なのに、師匠はうめこぶ茶と出逢ってない。
さすがに俺も、首をひねったね。んなパラドックスって、有りか?ってさ。
用も無いのに過去に長居する気は無いからさ、俺は次にすべきことをとっとと決めた。
余計な手出ししたヤツがいるかいないか確かめるために、元来た時間の流れに沿って戻り始めたってわけだ。ちょっと気楽に構えすぎてて、魔法の気配を見逃してるのかもしれないって思ったんだ。
俺が弟子入りした時には、師匠はすでにうめこぶ茶お徳用を愛飲してたから、その前までチェックすりゃいい。
いくら気楽にしてたからって俺が気配に気付かないとなると、手出ししてきたヤツは相当厄介な相手になる。
だから、自分でも目つき悪いよなってなくらいに睨み付けるようにしてさ、そりゃもう真剣に探したね。
でも、手出しされた気配はどこにも無かった。そりゃもう、ものの見事に綺麗なもんさ。ったく、おかげで俺は師匠の人生にすっかり詳しくなっちまった。
話反れるから、どんなだってのは置いとくとして。
誰も手出ししてないとなると、俺がきっかけを見逃したんだってことになる。
それはそれで納得いかないから、もう一度時を遡ってみることにした。
今度は、手出ししたヤツいないかチェックした時と同じくらいに、目を皿のようにしてさ。
そうして、やーっとのことでうめこぶ茶運んできた卸売りの男を見つけた。
ただし、どうやってもこのままじゃ師匠とは出遭わないとこ歩いてたんだけどさ。でも、その男が師匠の一番近くにうめこぶ茶を運んできた人間ってのだけは確かだった。
正直なところ、卸売りが見つかった時には、もうどうでも良くなってた。
確かに、このままじゃ師匠はうめこぶ茶お徳用とは出会うことは無い。でも、誰が手出ししたわけじゃないのなら、文句のつけようもないわな。
師匠は師匠でうめこぶ茶の代わりになるなんかを見つけてるだろうし、戻った俺はそれを淹れればいいわけだ。
というわけで、俺は引き返すことに決めた。
そうと決めたら、どっと来てさ。
たかが、うめこぶ茶との出逢いの為に師匠の人生二往復って、ったく。
喉潤すくらいは許されるだろってんで、俺は歩いてくる卸売りの男へと声をかけた。
「こんにちは、ぶしつけで申し訳ないのですが、飲み物をわけていただけませんか?」
いくらか困った顔になって返してくる前に、俺は言葉を重ねた。
「大事な品であることは承知しております。相応の対価はお支払いしますから」
さすがは商売人ってとこかな。相応の対価って単語の意味を正確に察してくれたらしい。らしい笑みを浮かべた。
「相応の、ですな」
俺も、にやりと笑い返してやった。
「で、何があるかな?」
「そうですな」
荷を覗いた男は、何なら後の商売に響かず、しかも儲かるか素早く考えたらしい。
「酒が何本かと、珍しいとこでは茶がございます」
俺は軽く口笛を吹く。
この時期、まだ茶は庶民の娯楽にはなってない。そもそも、滅多に手に入らないソレでさえ粗悪品だろう。しかも、茶葉自体を売るんではなくて、水出ししたヤツを何煎もコップ売りする。
でも、飲んだとなれば自慢になる一品で、商いを生業とする男が誇りを持って仕入れてきたモノなんだ。
ようするにこの男は、客寄せにも何にもならない場所で茶を出してくれると言ってるわけ。
そういうのには、こっちもお応えしなきゃな。
俺の口笛に込められた賛辞に、男は笑みを大きくした。
「しかも、一番出しでございますよ」
「ぼったくって、薄い茶を押し付ける気だろう」
いきなりの闖入者に、俺は思い切り気分を害したね。なんせ、やっとこ喉の渇きが潤せると思ったのにさ。
それにだ、俺はアホみたいに薄かろうが、粗悪品だろうが、何番出しかわかんなくなってようが、関係ないっての。
軽い意趣返しくらいはしてやりたかったけど、なんせ場所は過去だし、若くたって師匠の声を聞き間違えるはずも無いしね。
いつの間にここまで来たんだかって問題はほっとくとして、この場は丸く収めとくしかないだろ。
俺の嗜好の問題なんだからほっといてくれないか、と返そうと振り返った瞬間、俺の目は丸くなったね。
だってさ、余計な口出ししたガキは口をつぐんだまま、ものすごい勢いで汗かいてるときた。文字通り、吹き出すような汗ってヤツだ。
魔法の気配も濃かったし、師匠の師匠の仕業ってのはすぐにわかったよ。不用意な発言したら、罰がその場でやってくるって寸法らしいな。
にしても、この季節にコレは無いだろって勢いの汗、卸売りの男には驚きだろうと思って見てみたらさ、なんとこっちも驚いてない。
それどころか、慣れた調子で一番出しってことになってる茶を指して、苦笑気味に言ったもんだ。
「これはいかがで?」
口も利けないまま、まだお子様そのものの師匠は、必死の形相で首を縦に振る。
なるほど、当世の大魔法使いの小生意気な弟子は、しょっちゅう街中で不用意な発言をしては罰を受けてるらしい。
それを、皆よく知っている、と。
俺は、必死で笑いを噛み殺したね。
ま、元はといえば俺が妙なところで卸売りの男を止めたのが原因ではあるわけだし、フォローくらいはしとかないとな。
「いや、茶の他に塩もいるよ、このままじゃ汗のかき過ぎでぶっ倒れちまう」
俺の言葉に、ぽん、と手を打ち合わせた男は、ヒトツの袋を取り出してきた。
「では、コレはいかがでしょう?うめこぶ茶と言いましてね、ちょっと塩味の効いたお茶でございますよ。それだけでなく、酸味もあっていい感じですが」
げ、と叫びそうになったのを必死で堪えて、ガキ、じゃなかった、修行時代の師匠を見たらば、ともかく喉渇いてたんだな、やっぱ必死で首を縦に振ってた。
いやもう、旨そうに飲み干したよ。
で、ご丁寧に粉のまんまのも買って、不用意な発言を詫びて帰ってった。
俺はどうしたかって?
最初の交渉の通り、まだ薄い一番出しで喉潤して帰ってきたよ。

「これが、師匠がうめこぶ茶に出逢ったイキサツだよ。時間を遡った俺にとっては、うめこぶ茶に出会うきっかけになる俺は未来の存在だから、なんど往復しても見えなかったってわけだ」
ちょいとややこしいけど、彼には充分理解出来たらしい。
口元に楽しそうな笑みが浮かべたまま、空いた俺のグラスを満たしつつ、首を傾げる。
「不思議なこともあるものだな。それだけの出来事を大魔法使い殿が覚えていらっしゃらないとは」
俺は、ごくあっさりと肩をすくめてみせる。
「さぁねぇ、ちっと物忘れ始まってんじゃないの。魔法使いったって、年には勝てないだろ」
今にもふき出しそうなのを、彼は堪えたらしい。見たことのない、面白い顔つきになったのを、誤魔化すように自分のグラスを空ける。
「なるほど、君にとってはそういうことなんだな」
そういう理解力は、俺は嫌いじゃない。に、と笑みを大きくして、彼のグラスへと注ぐ。
「そういうこと」
バレたら罰掃除確実だもんな。
あの頃から俺は、禁忌も精霊との契約も関係なく、どんな魔法だって使おうと思えば使えたって、それだけの話さ。


2005.10.02 The aggravating mastar and a young disciple 〜A chance acquaintance is a ...〜

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