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癪な師匠と弟子
 福という

久しぶりに街へ出てきた師匠の機嫌が悪い。
ってことは、やっぱ、気付いたな。
というより、今日もアチラさんは頑張ってたわけだ。
俺は、何も言わずにうめこぶ茶をいれて、師匠の前に置く。
何か変わったことでも、なんてのは愚問だからだ。だいたい、そんなこと訊こうものなら罰掃除を喰らっても文句言えない。
それってのは、師匠よりずっと頻繁に街中を見てる俺が、ちょっとした変化を見逃してたってことになっちゃうもんな。
まぁ、稀に、師匠が出た時にたまたまってのもあるけどさ。
暖かいカップを手にして、ふうふうと吹いてから、師匠は眉を上げる。
「職務怠慢じゃな」
「異議有り、本命は師匠でしょう」
この点、主張ははっきりさせてもらわないとね。うっかり罰掃除なんてのはご遠慮願いたい。
ゆっくりとうめこぶ茶を口にしてから、ぼそり、と返る。
「お前さんの方が、事情は飲み込んでおろうが」
よく言うよ、顔見りゃおおよそのことは察しがつくってくらいには年を経てるクセにさ。
「まーさか。何人暮らしてると思ってるんですか。全員把握ってのは、あり得ませんよ」
俺は大仰に肩をすくめてやる。
ったく、面倒ごとはひとまず俺へって考えは、少々修正していただきたいもんだよ。
だけど、ここまで言われたら、後、口にするのは口調までそっくり真似出来るくらいに聞き飽きた言葉だってのは、考えなくてもわかる。
ようするに、無駄な抵抗ってわけだ。
師匠は、もう一口、うめこぶ茶を飲む。
それから、ゆっくりと視線を上げる。
「これも、修行じゃ」
ほーら、やっぱりね。
「はいはい」
「はいは一回じゃ」
いつも通りに師匠の眉が寄ったのを見ながら、俺は、もう一度肩をすくめる。
「ふぁーい」
「なんじゃ、そのふぬけた返事は」
俺がまともに返事した試しなんてなんてないってわかっててコレだもんな。俺はこみ上げてきた笑いを押し殺しながら、背を向ける。
「じゃ、ちゃっちゃと片付けてくることにしますんで、お代わりはご自分でお願いしますね」
師匠が何か言う前に、俺は扉を開ける。
ま、これっくらいは、たまにはね。
なんて、にやりとしかけた笑いを消して、さて、と俺は凍てついた空を見上げる。
この分じゃ、行かなきゃいけない場所は見るのも寒々しいだろうな。ついでに、街中に魔法使って行くのは好きじゃないんだけど。
今回は、仕方ない。
俺は指をちょいと鳴らして、ダウンタウンのはずれへと飛ぶ。もう少し厳密に言えば、そんなとこに不釣合いな格好で立っている、まだお嬢さんとお呼びした方が相応しそうな、ご婦人の前に。
まとったコートといい、手を包む毛皮といい、上流階級を絵に描いたような彼女へと向かい、俺は口の端だけに笑みを浮かべてみせる。
「生粋の名家にお育ちの貴女にしては、少々ルール違反が過ぎてやしませんか?」
普通なら上流階級なんてのに属してる人間に、大魔法使いの弟子が、こんな口の利き方なんてしたら大変なことだけどさ。明文化されてないっていっても、厳然と存在してる大魔法使いとのルールを無視してくれるような相手には、その限りではない。
まぁ、ちょいと腑に落ちないってのはあるけどね。
目前に立っている品のいいご婦人は、上流階級中でも名家中の名家と称される家に育った人だ。
言い換えりゃ、骨の髄まで上流階級としてのルールが染み付いているはずだってこと。それが、なんだってまた師匠や俺を待ち伏せるような真似をしてるんだか。
いや、待ち伏せようとしてる直の理由はわかってる。
彼女には、まだ、子が無い。
上流階級にあって、跡継ぎがいないのは致命的だ。
でも、子宝に恵まれるかどうかってのは人の意思だけじゃどうにもならない。どうしようもなくなった時に訪れるのが、ダウンタウンだ。
そもそも、自分の食い扶持にだってありつけるかどうかの場所なんだから、赤ん坊なんて誰も育て上げられやしない。
それでも、生まれてくる命は存在してる。だから、救済院なんてのがあるんだけどさ。
ようするに、そっから子をもらってくるってこと。
救済院は育てなきゃならない子が一人減って、上流階級の家は跡継ぎが出来て、赤ん坊は少なくとも生きてくには困らない環境を手に入れられて、ってわけだ。
システムとしてはメデタイってことになってる。
まぁ、概ねはそうなんだろうな。細かいところは、俺にはかかわり無いことなんでね。
そうでもなきゃ、救済院も成り立たないしさ。ほら、上流階級の仕事のヒトツは、慈善事業ってのだから。彼らのほどこしがなきゃ、とてもじゃないけどやってけない。
持ちつ持たれつってわけ。
ついでに、このシステムにはオマケみたいなものがある。
子を引き取ってから、家に帰り着くまでのどこかで魔法使いに出会ったら、その貰い子は幸せになれるってのが。
一種のマジナイだよな。そんな限定された道筋で魔法使いに行き会うってのは、ホントに万が一くらいな確率しかないからさ。
ましてや、大魔法使いに行き会う、なんてね。
いや、本当の偶然だってなら、師匠も俺も避けたりはしないよ。挨拶程度で幸せになれるっていうなら、いくらでもって思うさ。
子を選んだ帰り道に、俺たちがよく通る道を選んだんだとしてもね。それっくらいは人情ってもんだから。
でも、彼女は違う。
そもそも、まだ子が生まれなくてどうしようもないというだけの時間が経っていない。なんせ、結婚して一年経つか経たないかだ。まだ、子を宿したことすらないはず。
その上、調べ上げて、待ち伏せて、どうあっても師匠か俺に会おうとしてる。
ここまで来るとルールに抵触してるって抗議させていただいてもいい。
だけど、彼女は全く堪えた様子も無く、むしろにこやかに笑ってみせる。鈴を転がすようなってのはこういう声を言うんだろうな。
「あら、私にとってはどうでも、子供には偶然ですわ」
「らしくない屁理屈ですね」
これは、忠告だ。
それがわからない彼女ではないはずだから。
彼女はまた、鈴を振るような声で笑う。が、ちら、と振り返って影に潜んでいる自分の家の者たちに下がれと合図を送る。
さりげない動作だけど、知っている俺にはわかる。当然、周りは動揺する。そりゃそうだろうな、はずれっていったって、ここはダウンタウンだ。
金目のモノを持ってるってなったら、相手が誰であろうが、容赦はしない。
良家の奥様が、たった一人でなんていられる場所じゃない。
だけど、彼女ははっきりと言う。
「私、大事なお話がございますのよ」
俺の方に向かってはいたけれど、これは背後の従者たちへの命令だ。
こんな場所で完全に人払いなんて、正気の沙汰じゃない。でも、彼女はそうする気だ。俺一人に、何を語ろうっていうんだろうね。
声だけが笑ってる、このご婦人は。
そう、瞳が射抜くように真剣なんだ。
彼女が俺を待ち伏せているのには、信念に近いなにかがある。
少なくとも、その理由がわかるまではどうにもなりそうにないな。俺は、軽く肩をすくめてみせる。
「拝聴しましょう?」
さすがは良家の従者と言うべきなのかな。この場は俺が引き受けるって意味だってのを理解したんだろう、周囲の気配はかき消すように無くなる。
俺は、もう一度、肩をすくめてみせる。
先を促したってことだね。
彼女は、にこり、と微笑む。さっきまでとは違う、上流階級らしくない率直な笑顔で。
「あの子には、何があろうと、絶対に我が家を継いでもらわなくてはなりませんの」
あの子というのが引き取ることにした子供だってのは、わかる。でも、それ以上のニュアンスがあると思うのは、うがちすぎではなさそうに思える。
「あの子?」
俺の問いの意味を、彼女は正確に捉えたらしい。
「唯一、あの家を継ぐ資格のある子ですもの」
救済院にいる子が?ダウンタウンの誰が生んだかもしれないような?
そこまで考えた俺は、はた、とする。
違う、救済院にいる赤ん坊は、誰が産んだかわからない子なんだ。みんな、ダウンタウンで生まれた子ってことになっているだけで。
時には、事情があって預けられている子があっても不思議ではない。
ましてや、それがとある良家の息のかかった救済院であったとすれば。
彼女は、はっきりと言い切る。
「私の長男は、あの子です」
ああ、そうか。
俺には、なにもかも合点が行く。比較的最近あった、ちょっとした出来事を思い出したんだ。
上流階級である限り、表向きはなんら傷は無い。
常に完璧であれ。
それが、彼らの絶対の掟だから。
完璧という名の下に、影で何が行われようと、誰も何も言わない。触れない。でも、自分の家の為ならば、相手の家を潰すことなど当然のことだ。
かつて、彼女の愛した人がいた。その人も、彼女を愛した。
家は申し分無かったから、いつか結ばれることは約束された未来のはずだった。
だが、そうはならなかった。
彼の家は、潰された。
もう、彼女に相応しい家ではなくなったから、結ばれることは無い。没落した男に、何の価値も意味も無い。
彼女にとって以外は。
二人して、どこか遠くへと走るって選択肢もあっただろうけど、彼らはそうしなかった。
彼は静かに身を引き、彼女は残り、家を守る為に彼の家を潰した張本人を婿に迎えた。
って、ここまでは、表向きの話ってわけだ。
なんだってそんな無粋なことを俺が知ってるかっていうと、潰した男が、魔法使いの裏ルート使ったから。
裏ルートってのは正式の依頼じゃない、金とかそういうのだけがモノを言う、文字通りの裏取引だ。
それだけじゃない。引き受けたどっかの馬鹿は、禁忌を使いやがったんだ。
彼女の家の当主が、ようするに当時は彼女の父親なんだけど、きっちりと依頼してきてれば防げた話だった。
でも、俺たちは正式な依頼無しでは動けないからね。
彼女の父親は、彼を見殺しにしたってわけ。
禁忌でむざむざとやられてくのを、俺は、ただ見てるしかなかった。
あれは、俺にとっても実に不快な出来事だったんだよな。というわけで、嫌でもしっかりと覚えてるってわけだ。
まぁ、俺のことはともかくとして、真実は、彼と彼女は、そう見せかけただけってこと。
彼女は、ひそやかに彼の子を生んで、救済院に言い含めて預けた。いつか、引き取りに来るから、と。
だってさ、いつか彼女の家を継ぐ子が、実は彼と彼女の子だなんて、これ以上ない復讐だもんな。
彼の家を潰した男へも、彼女の大事な男を見殺しにした彼女の親たちへも。
「なるほどねぇ」
俺は、軽く首を傾げる。
復讐の為、なんてのに手を貸すような俺じゃないけどね。
彼女は、静かに俺を見つめる。
相槌に、どれほどの理解が込められているのか測ってるってところだな。俺は、にっこりと笑ってみせる。
それに応えるように、彼女も笑みを浮かべる。
「あの時、我が家は過ちを犯しています。あの男が犯した禁忌を止めなかったのですから。過ちは、正さねばなりません」
それが、上流階級の掟だからね。
俺は笑みを浮かべて首を傾げたまま、彼女の言葉の続きを待つ。
「掟を犯すような男の血は、残してはなりませんわ」
ごくあっさりと、彼女は言い切る。
「当主として、正式にご依頼申し上げます」
優雅に、お辞儀してみせる。
「禁忌を使った者ですか、それはいけませんね」
俺も、姿勢を正して魔法使いの礼を返す。
「ご依頼、お受けしましょう」
そんなわけで俺は、ほどなく、彼女の腕に抱きとられた子の額へと、小さなキスを贈ってやる。
魔法使いの祝福ってヤツだ。
ただ、お幸せにってご挨拶するだけじゃない、これ以上ないっていう魔法使いからの贈り物ってヤツだ。
しかも、俺からだからね。
この子は、いつか彼女の家の当主となるだろう。確実に、ね。
そこまでいかずとも、すくすくと育っていく子を見て、引退した元当主も、とてつもなく強引な手段で彼女を手に入れた男も、禁忌に手を出したどこかの馬鹿も、悟るに違いない。
滅多にない美しい青の瞳の持ち主が、誰の子なのかを。
そして、大魔法使いの弟子が、全てを知っているということを。
彼女の心からの感謝を受けてから、送り届けて、俺の仕事はおしまいだ。
帰り道、歩きながら、俺は空を見上げる。
さーて、師匠にはなんて言おうかな。
彼女に会ったら、こんなことになるような予感はしてたんだよね。挨拶ならともかく、祝福までしちゃったけど。
ま、正式な依頼をこなしたわけだから、どうにかなるだろ。
なんせ、ちょいと待てば、徳用うめこぶ茶が山ほどに届くだろうからさ。
全ては皆、大人の都合ってヤツでもあるし。
あの子が、本当に幸せになってくれますように。
大魔法使いの弟子としてではなく、俺として祈って、ちょいと空気へと投げ上げる。
たくさんの事情なんて、関係なく、幸せにね。


2006.12.17 The aggravating mastar and a young disciple 〜Benedictory incantations〜

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